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絵とか文のBL2次創作サイト(純エゴ、トリチア、バクステの話が多いです)
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拍手ありがとうございます。
通販の準備もしますので今しばらくお待ちください~!


思い立って三年前の夏コミで出した本をアップしました。
最近まで在庫持ってたような気がしたんですが、完売したの一年以上前でしたね…時の流れが早い……。
これも短い話しか書けなかったなあと思いつつ雰囲気の気に入ってるお話です。
トリチアらしい話が書けたかなって思える時は嬉しいですね。




拍手[9回]


+ + + + + + + + + +






エンジンを止め、車のドアを開けて外に出ると、けたたましい蝉の声が聞こえてきた。吉野は荷物も持たずに車から飛び出し、これから一週間過ごす家を見つめて目をきらきらさせている。
俺は吉野の分の荷物も持って車から降り、吉野の隣に立った。
「トリ、今日から一週間楽しみ過ぎる……!」
「そうか」
仕事も忘れるなよ、と言おうと思ったが、嬉しさに目が輝きまくっている吉野を見て、口を閉じることにした。

四方を山に囲まれた、田舎の一軒家。
今日から一週間の夏休み、俺たちはここで生活することになった。




始まりは、吉野のいつもの思い付きだ。老後の夢が古民家の一軒家を買って漫画を読んで暮らすことだというのは知っていたが、最近その熱が加速したらしい。
「やっぱ、ああいう家に住むんなら夏が最高だよな!」
確かに夏休みに田舎の家で過ごすことへの憧れは理解できる。子供の頃は、俺も吉野もそれぞれ両親の実家へ行ったりしていたが、映画やドラマに出てくるような田舎だったわけではない。
だから余計に憧れが強いのだろう。
「スイカ食べて、虫取りして、川遊びして、花火して……。そういう夏休みすげーいいよな!」
「お前はいくつだ」
「別にいいじゃん。日本人ならわかるだろ?」
向日葵と入道雲と蝉の声と満天の星空に囲まれて夏を過ごしたいらしい。吉野のように遊び回りたいとは思わないが、毎日仕事に追われていると、そういう非日常に身を浸したくなる衝動が起きないこともない。
そんなシチュエーションで吉野と二人暮らす生活をぼんやりと考えていたら、吉野は何やらパソコンで検索を始めた。
「トリ、見て!古民家の貸し別荘だって!」
吉野が座っている椅子の後ろからモニターを覗き込むと、古民家を改築した建物を別荘として貸し出しているサイトが何件か表示されていた。
「どう?これ。一週間くらい」
「どうって……、どういう意味だ」
「だから、いっしょに行かないかって言ってんの!」
吉野の口調は至って真剣だ。確かに魅力的ではあるが、俺と吉野のどこにそんな余裕があるというのだ。そう説教をしようとしたが、吉野は引き下がらない。
「遊びに行くわけじゃないから大丈夫だって。ホテルにカンヅメで原稿やる作家とかいるだろ?そんな感じでさー」
要するに、吉野はここへ仕事を持ち込むつもりのようだ。
確かに夏期の休暇と有給と土日を組み合わせれば、俺も一週間くらい休めるかもしれない。だが、本当に古民家で原稿をやるという吉野の言葉を信じていいものだろうか。
「なー、トリお願い!どうしても行きたいんだよ。手配とか全部俺やるから!」
懇願する吉野を見つつ考えた。観光地に行くわけではないので、吉野の言う通り一日の生活時間を全て原稿に当てれば作家のカンヅメと同じだ。家事は俺がやることになるだろうが、それはいつものことだ。休暇も一週間ならギリギリ可能な範囲だろう。
吉野の手からマウスを奪い、別荘の場所や設備などを確認する。そして、吉野に二つの約束を言い渡した。
一つ、今月の締切をきちんと守ること。
二つ、規則正しい生活をし、計画通り仕事をすること。
「これが守れたら連れていってやる」
「マジで!?」
「今月の締切破ったらキャンセルだぞ」
「やりますやります!超頑張る!」
俺の承諾に大はしゃぎした吉野は、上がるモチベーションのままに締切前に原稿を提出した。


こうして俺たちは予定通り二人で古民家の別荘へ行くことになったのだった。



滞在中は完全に自炊をしなければいけないなので、食料品を買い込んで運び入れるためにレンタカーを借り、助手席に吉野を乗せて別荘へやってきた。
高速道路を使って車で一時間くらいのその場所は、映画に出てくるような田舎ではないが、都会の喧騒の届かない静かな避暑地だった。候補地はいくつかあったのだが、家の外観で吉野が決めた場所だ。
築百年くらいと説明されていたその木造家屋は、電気・ガス・水道は整備されているものの、まるでタイムスリップしてきたかのような佇まいをしていた。
途中で別荘の管理人のところへ立ち寄り、鍵を受け取って滞在中の注意事項を説明された。男二人が一週間も何をするのだと思われるのが嫌だったので、取材を兼ねていることを伝えると、そういうお客も多いと言われた。吉野は俺の背中の後ろで、管理人の男性と俺の話をそわそわしながら聞いている。
一通り説明を受け、書類にサインをすると、吉野に袖を引かれるようにして車へ戻り、その先の道を進んだ。




「ヤバい。トリ、俺超幸せ……!」
別荘の鍵を開けたあと、吉野が真っ先にしたのは縁側に寝転がることだった。
板敷きの廊下に大の字になって、目をつむっている。
「吉野、自分の荷物くらい運べ」
「あ、ごめんごめん」
そのまま昼寝を始めてしまいそうな吉野に声をかけると、慌てて飛び起きた。玄関へ走り出そうとした吉野だったが、廊下で足を滑らせて体勢を崩す。
「わっ!ととと……」
「おい吉野!」
急いで吉野の体を抱きとめ、間一髪で転倒から免れた。
一瞬抱き合うような姿勢になったが、ぱっと飛び退くように吉野は俺から離れた。
「まったく、腕でも折ったらどうするつもりなんだ」
もっと注意深くなれと説教をしたが、吉野は赤くなったまま言い訳にもなっていないような言い訳を口にする。
「や、なんか靴下が滑ったみたいで……」
そして今度は気を付けると言うと、その場で靴下を脱ぎ捨てて荷物を取りに車へ戻っていったのだった。
(まったく……)
結局脱ぎ散らかした吉野の靴下を拾うのは俺の役割になるのだ。吉野のことは好きだが、さすがにこれを嬉しいとは思えない。俺が吉野の靴下を手に洗濯機の場所を探していると、吉野はさっそく奥の間のテーブルに仕事道具を広げているところだった。



とりあえず荷物を運び入れ、食料品を冷蔵庫に収めると、居間で吉野と向かい合って座った。クーラーはないが、家の裏側の窓を網戸にして縁側を開け放しておくと、涼しい風が通り抜ける。
吉野の主張によりコーヒーではなく麦茶を飲みながら、滞在中の計画を立てた。
「まず、仕事は朝の涼しいうちに始めること」
「げ~、夏休みの宿題かよ」
「お前の家と違ってクーラーないんだぞ。日中になると暑くて仕事にならない、とか言い出すに決まってるからな」
一応避暑地ではあるが、夏は夏だ。暑さに強いとは言い難い吉野が暑くて仕事をしたくないと言い出すのは目に見える。早起きをさせるのも難しいかもしれないが、いつもと違う環境になればテンションが上がって起きられるかもしれない。
そう思っての提案だったが、吉野はしばらく考えてこんなことを言った。
「なあ、ラジオ体操って何時からだっけ」
「……六時半くらいじゃなかったか」
「わかった!俺これから一週間毎朝ラジオ体操する!」
「はあ?」
部屋をきょろきょろしていたと思っていたのだが、置かれている古いタイプのラジオを見つけて思いついたようだ。
「なんかラジオ体操って夏休みって感じだし、それなら俺も早起きできそうじゃね?」
そして、もちろんトリが起こしてくれるよな、と付け加えられた。俺としては吉野がちゃんと早起きして仕事に取り組んでくれればいいので、ちゃんと起きろよ、と念押しして了承した。俺は必要ならば何時にでも起床できる。
浮かれた吉野は何やら厚紙を取り出して、何かを作り始めた。
「できた!」
じゃーん、と俺に見せてくれたそれは、ラジオ体操の出席カードだ。ちゃんと明日から一週間の日付と押印欄とイラストが書き込まれている。
「トリ、判子持ってる?」
「一応持ってるが」
「じゃあ、ちゃんと起きれたらトリの判子押して!」
恋人と二人きりで夏休みを過ごす、といえば聞こえはいいが、これでは完全に小学生の保護者か引率だ。シチュエーションは悪くないのに、どうしてこうなるんだ、とため息をつきたくなる。最悪、一週間は甘い雰囲気はお預けになるかもしれない。
そんな俺の心中など知らない吉野は、トイレのついでに探険してくると行って部屋の奥へ消えた。
(老後もいっしょに、か)
たどたどしく将来を誓い合ったものの、きっと待っているのはロマンチックとは程遠い未来に違いない。もちろん、吉野の側にいられるのならばどんな未来でも構わないとは思うけれど。


「おーい、トリー!」
トイレに行くと言っていた吉野はなぜか庭に出ており、楽しそうに俺に手を振ってくるのだった。
先は長いのだし、一度くらいこんな夏があってもいいのかもしれない。自分に言い聞かせるようにして、無表情で吉野に手を振り返した。



「それじゃあ俺は夕飯の支度をしてくるから、できるまで仕事してろ」
「はーい」
庭ではしゃぐ吉野を居間に連れ戻し、まさに夏休みの宿題よろしく一日の仕事の時間を配分させ、計画表を作らせた。そしてもう夕方近くなっていたので、仕事を進めておくよう言い渡して、俺は台所へ向かった。遊ぶ時間が全然ないと文句を言っていた吉野だが、いつもと違う作業環境がお気に召したらしく、おとなしくネームを始めた。この調子でいけば、下書きまで入ることができるかもしれない。
夕飯が済んだら俺も持ち込んだ仕事をするか、とやらなくてはいけないことを考えながら冷蔵庫を開けると、吉野にねだられて一個丸々買ったスイカが真ん中に鎮座していた。




居間のテーブルで、吉野と二人向かい合って食卓を囲む。夏野菜の天麩羅を揚げ、汁物の代わりに素麺を茹でた。スイカも切ろうかと吉野に尋ねたが、水に浮かべて冷やし、明日の昼のおやつにするのだそうだ。
「あー、日本の夏って感じ!」
軒先にぶら下げた風鈴が風に揺れ、部屋の隅では蚊取線香が小さく煙をくゆらせている。
「旅館とかも雰囲気あるけどさ、なんかトリのご飯が食べたくなっちゃうんだよね」
だからここに来て正解、と吉野は言った。俺の労働力が勘定に入っていないのが気になるが、やはり吉野のこういう無意識の発言は俺を嬉しくさせる。吉野が喜ぶのなら、俺は何だってするだろう。吉野と二人でいる時間が、俺にとって何よりの対価だ。
食事が終わると吉野は俺が何か言う前に仕事に戻っていった。これがちゃんと続けばいいのだが。そんなことを考えつつ台所でビールを飲んでいると、吉野に目ざとく見つけられた。
結局二人でビールを二本ずつ開けてしまったが、今日の目標としては上出来だろう。



夜は、奥の間で布団を並べて敷いて眠ることになった。
それなりに広い家なので寝床として使える部屋は二つ以上あったが、わざわざ分かれて眠るほどのことではないだろうというのが二人の意見だった。それに俺には吉野を朝ちゃんと起こすという役目もある。
吉野が布団に潜り込んだので、電灯を消し、俺も横になった。
「明日、ちゃんと起きるんだぞ」
「……トリがヘンなことしなかったら大丈夫だし」
そう言われて、吉野の僅かな警戒の色に気付いた。吉野と二人で旅行に来ているわけだから、当然そういうことをしたい欲求はある。だけど、仕事をするという約束を尊重してここへ来たのだから、仕事に差し障ると言われれば我慢するのもやぶさかではない。
「わかったよ。ここにいる間、夜は手を出さないことにする」
「えっ?」
「なんだ、期待してたのか?」
「あ、いや、そーいうわけじゃ……」
「なら寝るぞ」
おやすみ、と言って布団を吉野の肩までかけてやると、吉野もおやすみと言って目を閉じた。
ここで吉野が寝ずに無意識でも誘うような様子を見せたら我慢できなかったかもしれない。けれど昼間はしゃぎ過ぎたのか、吉野の方からはすぐに寝息が聞こえてきた。さて、この滞在中に何度吉野の触れることができるのやら。二人っきりの生活で昼も夜もなく抱き合って過ごすなどというのは所詮都合のいい妄想に過ぎない。一度でもキスができれば上等だ。さて、どうやれば小学生から恋人に脱皮させられるのか。
などとつまらないことを考えているうちに、遠くで聞こえる蛙の声と吉野の寝息を子守歌にして俺も眠りに就いた。






アラーム代わりの携帯電話が電子音を響かせ、俺は目を覚ました。
暑いからと言って廊下との間にある障子を開けて寝ていたせいで、すでに朝の光が眩しい。
「吉野、起きろ。朝だぞ」
「んー……」
むにゃむにゃと目を擦っている吉野の耳元で、ラジオの電源を入れた。小学生の頃の夏休みには毎日聞いていたあのメロディが流れ、吉野は飛び起きる。
「ラジオ体操!」
吉野はそう叫んで、手作りの出席カードを取りに行くために布団を抜け出した。
「トリ、判子!」
「押すのは終わってからだろ」
「あ、そっか」
そして、どうせやるなら外でという吉野の主張で、庭に出て二人でラジオ体操をやるはめになった。まさかこの年になってこんなことをするとは思わなかったが、懐かしさも加わって意外と悪くない。
山の縁からこぼれ落ちるような朝の日差しに、吉野の笑顔が輝いて見えるようだった。




「すげー、こんな健康的な生活、何十年ぶりだろ」
「何十年は大袈裟じゃないか?」
ラジオ体操第一を終えて、俺に判子を押してもらい、満足そうに吉野は朝食の席についた。普段は昼頃に起き出して深夜まで原稿をするという、下手をすると昼夜逆転の生活をしている吉野だ。朝の六時半に起き、七時前には朝食を食べているというのは普段では考えられない。そもそも三食きちんと食べている日の方が少ないのではないだろうか。
「トリっていつもこれくらいの時間に起きてるの?」
「いや、さすがにもう少し遅い」
「そうなんだ。いっしょに寝てても、起きたら出勤してること多いからさ。……っと」
そんなことを言いながら吉野は余計なことまで思い出したようで、真っ赤になって味噌汁をすすっていた。
吉野の部屋に泊まったり、逆に吉野が俺の部屋に泊まったりして二人で眠る時、後ろ髪を引かれながら俺は一人で起き出して出社する。吉野の寝顔を眺めて名残惜しい気分になっていたのだが、吉野の方も多少寂しいと感じてくれていたようだ。今朝のように二人揃って朝食を、というのが理想的だが、なかなかそうはいかない。
お互いが今の仕事をしているうちは仕方ないかと半ば諦めているが、そのうち吉野とずっといっしょにいるための努力を考えなくてはいけないだろう。
食卓を片付けながら、暑くならないうちに仕事を始めろと言うと、文句を言いつつも吉野は机に向かった。




朝のうちの涼しい空気は、午後になるとすっかり暑気に変わってしまった。
「あ、づ、い~~!」
扇風機の前で吉野がごろりと畳に寝そべっている。確かに東京よりは涼しいような気もするが、パソコンの熱のせいもあり、仕事をしている俺もだいぶ汗をかいていた。
「三時になったらおやつにしてやるから、昼寝してていいぞ」
夕方、少し暑さが緩んでから仕事をした方が効率がいいだろう。バタバタとTシャツの中をうちわで扇ぎながら、吉野が言った。
「こんなに暑くちゃ昼寝もできねーよ。あ、そうだ。水浴びでもしよっかな?」
吉野は起き上がり、俺にたらいはないか尋ねた。
「たらいって……。お前、外で水浴びするつもりか」
「だめ?なんか気持ちよさそーじゃん」
「誰か見てたらどうするんだ」
確かに周囲には人通りがほとんどない。たまに下の道路を車や付近の住民の自転車などが通り過ぎるくらいだ。だから庭で水浴びをしたとて、誰かに見られるようなことはないだろう。
それでも気になるものは気になる。さっきTシャツをまくり上げてあおいでいたのですら、吉野の細い腰回りが目についてしょうがなかった。
「お、俺の裸なんか誰も見たいとは思わないっつの!」
考え込む俺を見て、吉野は赤くなった。
「ていうか、トリだって別に俺の裸わざわざ見たいとは思わねーだろ?」
「まあ、確かにな」
子供の頃から散々見慣れている裸体なので、今更特別に見たいと思ったことはない。ただ、他の人間に見せたくないだけだ。もう少し自分が他人の目にどう映っているのかにも敏感になってもらいたいものだ。どうせ吉野の身体を見て欲情する俺だけが特別だとでも思っているのだろう。
「見ると興奮はするが、わざわざ見たいとは思わないな」
「一言多いんだよ!」
しょうがないから風呂場に行く、と言って、吉野は昼風呂を浴びに行った。



冷たいシャワーを浴びてすっきりした吉野は、スイカが切れたら起こすよう俺に頼んで、奥の間で昼寝を始めた。
やれやれと思いながら吉野にタオルケットをかけてやり、俺は仕事の続きに取り掛かる。三時過ぎに起こしてやればいいだろう。
そう思って三十分くらい書類を書いていたが、吉野の寝顔を見ているうちに眠気を誘われ、俺も吉野の隣に横になることにした。
そういえば、昔はこんな風によく二人で昼寝をしていたような気がする。幼かった自分は、吉野の手を握っていると安心して眠ることができた。明確な恋愛感情ではないけれど、吉野への特別な思いは確かに昔から存在した。
風通しをよくするために縁側のガラス戸を開けたままにしていたのだが、どうせ誰も見やしないだろうと思い、横になって吉野と手を繋いだ。吉野はそれを振り払うことも起きることもなく、俺と手を繋いだまま、ぐっすりと寝入っている。そして、さっきまで暑いと言っていたのに、俺の方へ身体を擦り寄せてきた。
吉野と指を絡めながら、開放的な場所で吉野と触れ合っていられることの幸せを噛み締めた。




うとうとし始めていた頃に聞こえていたのはアブラゼミの鳴き声だったが、目が覚めるとヒグラシが鳴き出していた。外を見ると、すでに薄暗くなりかけている。時計を見ると夕方の六時だった。
「おい吉野、夕方だぞ」
「えー、おやつはー?」
寝呆け眼で吉野が呑気なことを尋ねてくる。
「スイカなら夕飯のあとに切ってやる」
「ちぇー、せっかく暑い昼間に冷えたスイカ食べようと思ったのに……」
起き上がろうとして、吉野は自分たちの体勢にやっと気付いたようだった。最初は並んで寝ていただけだったが、いつのまにか俺が吉野を抱き込むような姿勢になっていたらしい。
吉野はばっと身を離し、照れ隠しに口を尖らせた。
「ど、どうりで暑いと思った!」
「言っておくが、お前から抱きついてきたんだぞ」
「だって、隣にトリがいるって知らなかったし!」
わざと抱きついたわけじゃないと吉野は反論した。微妙な距離を取って俺の出方をうかがっていた吉野だが、俺がそれ以上何もせずに夕飯の支度に向かおうとするのを見て、拍子抜けした顔になった。
「寝てた分、仕事しとけよ」
「起こしてくれなかったのはトリだろ!」
「すまん。今度は気を付ける」
ぶつぶつ言いつつも俺が謝ると、吉野は仕事を始めた。
以前にも吉野と出かける計画をしながら寝過ごしたことが何回かあったが、眠りの浅い俺でも吉野と寝ているとしっかり眠れるようだ。不思議なことだが、吉野が隣にいると妙な安心感があるのかもしれない。





結局、スイカは夕飯のあとに切って食べることにした。
半月型に切って居間に運ぶと吉野は縁側に座っており、俺を手招きしている。
「せっかくだし、縁側で食べようぜー」
ぶらぶらと足を投げ出している吉野の元へスイカを運び、俺も隣に腰掛けた。
「さすがに種飛ばすのはマズイかな」
「自分の家じゃないからな」
「……だよね」
仕方ないと吉野は指で種を摘み出しながらスイカに齧りついた。
日中の暑さはすっかりと去り、心地いい風が吹き抜ける。
スイカなど去年吉野の実家でご馳走になって以来食べていなかったが、やはり夏に食べるとおいしいものだと思った。もしかしたら吉野といっしょにいるせいかもしれないけれど。
二人で黙々と食べていたが、ふいに吉野声をあげた。
「あ、ホタル!」
吉野が草むらを指差す。目を凝らしたがよく見えなかったので首を傾げると、吉野は部屋の中へ走って電灯という電灯を全て消した。
「これでどうだ!」
そして俺の隣に戻り、もう一度さっきの場所を指差す。
最初はただ真っ暗なだけだったが、じっと見ていると小さな黄色い光がぼうっと浮かび上がった。吉野はこの淡い光をよく見つけたものだと感心した。人工的な明かりを全て消し、月の光だけになってようやくわかる弱い光だ。
決して眩しくはないが、数秒間隔でゆっくりと点滅を繰り返すそれは、この夏の宵を強烈に胸に焼き付けるのには十分だった。
「すごい……。俺ホタル初めて見た」
「俺もだ」
そのうちに二匹目が飛んできて、淡い光が目の前を横切る。都会ではお目にかかることのない夏の夜の幻想的な風景に、二人とも無言で見とれていた。
そっと吉野の横顔を盗み見ると、すぐに気付かれて目が合った。
「……なんでこっち見てんだよ」
「お前の楽しそうな顔を見るのが好きだから、かな」
「そ、そういうことさらっというな!」

やがて二匹のホタルはどこかへ飛び去り、部屋の明かりをつけた俺たちはぬるくなったスイカを苦笑いしながら食べたのだった。




こんな風に、三日目、四日目と穏やかに過ぎていった。
吉野の仕事もそれなりに順調で、四日目の午前中にはネームが出来上がったので、編集部にファックスするために二人で車に乗ってコンビニへ向かった。この家から車で十五分くらいのところにスーパーとコンビニがある。
一日目に持ち込んだ食料品も少なくなってきたので、ついでに買い出しもすることにした。
最初は俺一人で用事を済ませてくればいいかと思ったのだが、吉野が留守番は絶対に嫌だと言った。この家は気に入っているが、一人で残るのはつまらないらしい。
行きと同じように助手席に乗り込んだ吉野と、あれこれと買い物の相談をした。
「トリー、俺アイスほしい」
「帰ってくるまでに溶けるぞ」
「車の中で食べるのは?」
「汚すからだめだ」
「じゃあ買ったらその場で食べよう!トリもいっしょに!」
こんな会話をしたために、コンビニからファックスを送ったあと、店の前で二人でアスファルトに座りアイスを食べるはめになった。
(まるでプール帰りの小学生だな)
三十路になってこんなことをするとは思わなかった。吉野の方は全く意に介していないようで、夢中でアイスバーを頬張っている。
ふと隣を見ると、地元の小学生であろう男の子二人組が俺たちのようにアイスを食べており、妙に恥ずかしい気分になった。
「トリの一口ちょうだい」
「おいこら、吉野」
俺が差し出す前にひょいと吉野の顔が近付き、チョコクランチのついた俺のアイスをかじった。案の定、口のまわりはチョコだらけだ。うっかり屋外だということを忘れて指で吉野の口元を拭ってしまった。
「ちょっ……」
吉野は動揺したが、開き直ってそのまま指についたチョコを舐めた。
「もー……、変なことすんなって」
「悪い、つい」
あまり悪いとは思っていなかったけれど、そう返すと吉野は恥ずかしい奴だの何だの言いながら自分のアイスを食べるのを再開した。
隣の小学生たちは俺たちの様子など気にせずに、笑いながらゲームの話をしていた。




買い出しを終えて帰ってくると、ちょうど高野さんから電話がかかってきた。
俺は休暇をとっているが、編集部の他のメンバーは通常通り出勤している。今みたいな非日常空間に身を置いていると、エメラルド編集部での生活がまるで別世界のように感じた。
エメラルドでは作家のネームは全員でチェックするのが原則なので、俺たちがさっき送ったネームは今頃皆の手に渡っている頃だろう。
「はい、羽鳥です」
「おつかれさん。ネームは受け取った」
送ったネームは一通り目を通してくれたらしく、明日の午前中に編集部全員で読み合わせをすると言われた。
「それ終わったらチェック済みのネーム返せると思うんだが、出先に送ればいいか?」
「すみません、ファックスがなくて……」
「パソコンは?」
「持ってます」
「それじゃあファイルにして送るから受け取ってくれ」
「お手数おかけしてすみません」
そんなやりとりをして電話を切ると、テーブルで頬杖をつきながら聞いていた吉野が口を開いた。
「なんか、仕事しに来ましたーって感じ」
「その通りだろ」
素っ気なく言い返すと、吉野はごろんと寝転がった。
完全に遊びに来たわけではないので、必要なら会社へ連絡を入れたりもする。俺だって、できれば吉野以外の誰とも関わらずに過ごせればそれに越したことはない。
だけど二人揃えば優先事項はいつだって仕事になってしまう。こんな時には自分の息抜きの下手さが恨めしい。


どうしたものかと考えていると、もう一度携帯電話が鳴った。
高野さんだ。
何か伝え忘れた用事でもあるのかと思い尋ねると、吉野に代わってくれと言われた。高野さんが直接吉野に話す用事とは何なのだろうか。
訝しがりながら吉野に代わり、吉野も不思議そうな顔をして俺から携帯電話を受け取った。
「はい、吉野です。えーと、いつもお世話になってます……」
なんとなく吉野と高野さんが会話しているのは妙な気分になる。相槌を打ちながらひたすら頷いていた吉野だったが、一瞬呆気にとられたような表情をしたあと、満面の笑みになって、わかりました、と言った。
電話を返してきた吉野に、高野さんの用件は何だったのかを尋ねた。怪訝な顔の俺を見て、吉野はニヤッとする。
「聞きたい?」
「……………聞きたい」
少し癪な気分だったがそう言うと、吉野は耳打ちをするようにこう言ったのだった。

「『去年みたいに倒れないように、羽鳥のこと見ててやってください』だって」
「………っ」
そういえば去年の夏に倒れた時、吉野に連絡したのは高野さんだったことを思い出した。
休暇なんだからちゃんと休めと言いたいのだろうが、わざわざ吉野に伝えるところに妙な意図を感じる。
しかし高野さんからの伝言のせいでやる気が起きたのか、吉野はカラーイラストの仕事に取り掛かろうとしていた。
「俺がサボってたらトリが休めねーもんなっ」
「ああ、頑張ってくれ」
いつも俺が口を酸っぱくしてもダラダラしているくせに、高野さんの一言でこんなに発破がかかるのかと思うと納得がいかない気がしたが、俺が休めるようにとのことなので気にしないことにしよう。
「なーなー、夕飯までに下絵終わったら、さっき買ってきた花火しねー?」
「わかった。原稿の方は明日ネームが返ってくるまで手を付けられないしな」
「やったー!」
花火、花火と口ずさむ吉野を見て、つい笑いがこぼれてしまう。吉野と見る花火は俺にとって特別なものばかりなのだが、意識しているのかしてしないのか。
(ま、単純にはしゃいでるだけか)
吉野が喜んでいるならそれでいい。
そんなことを考え吉野を見ると、花火をしているキャラクターの絵を描こうとしていたので、イラストが掲載される季節を考えろと呆れたのだった。




滞在五日目、その日もきちんと朝六時半に起きて二人でラジオ体操をしながら、今日も暑くなりそうだという話をしていた。幸いなことに今日まで毎日天気には恵まれている。日中の暑さをクーラーなしで乗り切るのはいささか苦しかったが、これくらい晴れていてこそ夏という気分にもなる。何より、夏を満喫しきっている吉野の顔を見るのが楽しい。
しかし昼飯後、吉野とプールに行きたいだのかき氷が食べたいだの他愛もない話をしていると、急に空が暗くなった。
「夕立?」
「かもしれないな」
洗濯物を急いで取り込んでいるうちに、遠雷が聞こえ始めた。空を雲が覆ったせいで蒸し暑く、じっとりと汗ばむような空気だ。
雨はなかなか降り出さず、雷だけが一気に近付いてきた。最初は音だけだった雷は、次第に強い稲光を見せ始め、ゴロゴロという雷鳴を繰り返していたが、鋭い雷光の数秒後にドン、と叩きつけるような雷鳴が轟いた。と同時に、居間の蛍光灯が点滅し、部屋は真っ暗になった。
「あ……、停電」
ぽつんと吉野がつぶやいた。付近の変電施設に落ちたのかもしれない。すぐに元に戻るかと思ったが、しばらく待っても暗いままだった。雷だけがどんどん激しくなっていく。
「これじゃあ仕事にならねーな」
夜ではないので完全な暗闇ではないが、作業をするには暗過ぎる。
向かいに座っていた吉野はふいに立ち上がり、俺の隣へとやってきた。
「恐い?」
「んー……、別にそういうわけじゃないけど……」
ただ縁側を開け放しているせいで、いつもより雷を近くで見ているようで不思議な気分だと言った。マンションの部屋から聞く雷の音とは違うのだそうだ。言われてみれば、ここでは雷空の下に放り出された気分になる。


稲妻が光るたびに吉野の睫毛が小さく揺れるのを見つけた俺は、自分が欲情していることに気付いた。欲情している時は、いつもより細かく吉野の様子の変化に気付くのだ。
背中から抱えるようにして、吉野の身体に腕を回した。吉野は驚いたようだったが、じたばた暴れるようなことはせずに俺の方へもたれかかってきた。
それを吉野の承諾と受け取り、顔をこちらに向けさせてキスをした。
「ん………」
吉野は身体を捩って微かに身悶えたあと、俺と向き合うようにして座り直した。縋りついてくる吉野の肩越しに見える雷光は、妙な官能を煽る。
「千秋……」
「………あ……っ」
Tシャツの裾から手を差し入れて素肌に触れると、ぴくんと吉野が反応した。ひたひたと指で正中線をなぞるようにすると、吉野は俺の方を見てわざとらしく渋い顔をしてみせる。
「手ぇ出さないって言ったくせに」
吉野が本気で拒んでいるわけではないことはちゃんとわかるので、こちらも軽口で答える。
「俺は『夜』手を出さないと言ったんだ。今ヤッても夜ちゃんと寝れば朝起きられるだろ?」
「もうー……、トリは屁理屈ばっか」
屁理屈で結構、と言い返し、畳の上に吉野の身体を押し倒そうとしたところ、両手で押し返すようにして抵抗された。
「……ここじゃなくて、奥の部屋で」
開けっ放しの縁側が気になるらしい。吉野の主張を尊重することにして、手を握って奥の部屋へ行き、襖と障子を全て閉めた。
俺が敷き布団を引っ張り出している間、所在なさげに体育座りをしている吉野の姿は吹き出しそうになるくらい可愛い。どうにか一枚布団を敷き、その上に吉野と向かい合って座った。
引き寄せるように吉野の身体を抱き締めると、ひときわ大きな雷鳴が響き、すぐにしめやかな雨の音が続いた。




雨の音があるおかげで恥ずかしさが半減するのか、身体がぶつかり合うたびに吉野は大きく喘いだ。しとしと降る雨の音は吉野の嬌声を隠すが、俺の耳には十分な声だった。身体もいつもより感じているのか、少し角度を変えて責めるだけでびくびくと震えて俺を締めつける。スプリングが軋むベッドとは違い、布団の上では二人の身体がより密着するような気がした。
四方を閉めきっているせいで、二人とも汗塗れだ。律動のたびにぽたぽたと汗の雫がしたたり落ちた。
それでも吉野は泣き言を言わず、もっと欲しいというように足を絡めてきた。
(……まるで、雨の中に世界で二人っきりのような)
そんな錯覚に陥り、充足感に目を閉じる。少女漫画の台詞ではないが、こうして二人繋がったまま、時が止まってしまえばいいのにと思った。
ふと吉野と目が合い、どちらともなく唇を重ねる。身体の中心は熱いのに、不思議と頭の中は穏やかだった。
「トリ……」
目尻に涙をためた吉野の瞳に見上げられ、疼くような胸の痛みを感じた。この痛みの理由はちゃんとわかる。
吉野の老後の夢は、こんな古民家で漫画を読み茶をすすりながら暮らすことだという。
そして、その隣には俺がいるといいという。
(俺は吉野の人生を奪ったと思っていた)
普通の幸せを享受する機会を俺が潰したと思っていた。
だけど、それは少し違った。吉野は自分の人生を半分俺にくれたのだ。まるで子供の頃にお菓子をはんぶんこした時のように。その吉野の気負わない、それでいて無限の深さをたたえた優しさに、俺は胸が苦しくなるのだ。
「トリ……もう……」
「……千秋……!」
切なげに眉根を寄せてしがみつく吉野を力の限り抱き締めた。
(千秋を、愛してる)
声にならなかった叫びは、胸の内をこだましたあとに、心の奥の部分にそっと収まった。いつか言葉にして伝えよう、という決心と共に。




行為が終わった頃には天気は雷から雨へと変わっており、部屋の気温も下がっていた。もちろん停電からも回復していて、襖越しに居間の灯りが漏れて見えた。。
素肌には部屋の空気が涼しかったようで、吉野は終わっても俺から離れようとしなかった。ただ二回目を望んでいる感じではなかったので、俺も吉野の髪を撫でながら布団の上で寄り添っていた。
「雷止んだな」
「ああ。たぶん雨もすぐに止むだろ」
「うん……」
吉野は俺の顔をじっと見たあと、可笑しそうに言った。
「あーあ、ここにいる間は清く正しく過ごそうと思ったのにな」
小学生のような夏休みを過ごしていたのに、結局こういうことをしている自分たちへの照れだろう。恋人同士が二人っきりでいるのだから何もおかしいことはないと思うのだが。
俺のことをただの幼なじみとしか思っていなかった期間の長い吉野には言っても仕方のないことなのだろうか。
「まあ、清いとは言い難いが、正しくないこともないんじゃないか?」
恋人だろ、と言って悪戯に太股へ手を伸ばすと、仕返しに俺も吉野に触られた。そのまま二人で笑いながらお互いの身体を触り合っているうちに雨雲はどこかへ行き、綺麗な夕焼け空が障子越しにあらわれた。





そのあと二人でシャワーを浴び、髪を拭きながら居間へ戻ってくると、携帯電話に着信のランプがついているのが見えた。
慌てて電話に出ると、高野さんだった。
昼間に何度も電話をかけたと言われ、吉野と抱き合っている最中は編集部から連絡がくることをすっかり失念していたことに気付いた。
「取り込み中だったら悪かったな」
「いえ、こちらこそ着信に気付かなくてすみませんでした」
高野さんがどんな『取り込み中』を想像しているかはわからないが、むしろ最中にうっかり電話に出なくてよかったかもしれない。
用件は、ネームのチェックが終わったからパソコンへ送った、という内容だった。
俺がお礼を言うと、それから、と高野さんはこんなことを言い出した。
「そろそろ編集部が恋しくなったんじゃないのか?」
「………はあ?」
一体この人は何を言い出すのだろうと思っていると、今度は戸惑ったような声が受話器から聞こえてきた。
「え?高野さん何いきなり電話代われって……や、でも……、あ、えーと羽鳥さんお久しぶりです。えっと、小野寺です」
「………小野寺?」
「すいません、なんか高野さんが……。えっと、こっちはとくに問題ないのでゆっくり楽しんできてくださいね」
「…………ああ」
俺が呆気にとられている間に、今度は別の声が聞こえてきた。
「あ、トリ?夏休み満喫中?お土産は一週間分のおやつでいいよー」
「木佐か……」
「羽鳥元気?ハメ外し過ぎて休み明けに大変なことにならないようにね……?」
「……美濃も元気そうで何よりだ」
代わる代わる言いたいことを言って、編集部からの電話は切れた。こうして数日間離れていただけで、俺はずいぶん騒がしい職場で働いていたんだな、と他人事のように思ってしまう。
そんな俺の様子を見ていた吉野が、面白そうな顔をして言った。
「編集部の人たち?」
「まあな」
相当俺は苦々しげな顔をしていたのだろう。吉野はぷっと吹き出した。
「エメ編ってみんな男前だけど、けっこうみんな面白い人たちなんだな~と思って」
「………面白いかどうかは時と場合によるけどな」
「いいじゃん、楽しそうな職場で」
そう言って笑う吉野をわざとらしくにらみつけ、こう言ってみた。
「作家が何も言わなくても締切を守ってくれたら完璧に楽しい職場なんだがな」
「…………トリの意地悪」
つまらない言い合いをしていても仕方ないとパソコンを立ち上げると、吉野は冷たい麦茶を求めて、冷蔵庫のある台所へと逃げた。



束の間の休息はあまりに早く過ぎていく。一週間と思い切って休みをとったつもりだったが、終わるとなると本当に短い気がした。
「明日にはもう帰んなきゃいけないんだよなー……」
毎朝うきうきと起きていた吉野だったけれど、今日は心なしか少し元気がない。
「夏休みは終わるもんだからな」
「そーなんだけどさ」
夏を満喫したし、仕事もちゃんとしたし、この一週間はすごく充実していたと吉野は言った。それだけに名残惜しいようだ。
夕方ともなれば夏の終わりを知らしめるようにヒグラシがカナカナと鳴き、愁いを増幅させる。そういえば子供の頃も、夏休みの最終日には吉野が家へ来て、休みが終わるのが憂欝だとごろごろしていたのを思い出した。
少しでも気が晴れるかと思ってその日の夕食は冷蔵庫整理も兼ねてたくさん料理を作ってやったのだが、吉野はあまり箸がすすまない様子だった。
「ごめん、トリ。せっかく作ってくれたのに」
「気にするな。明日また食べればいい」
「……うん」
吉野が飯を残すことなど滅多にないので心配になったが、こればかりはどうしようもない。別荘の契約は明日までだし、次はいつ来られるかもわからない。日常に帰りさえすればきちんと思い出になっていくのだろうが、物事の終わりというのはどうにもならないものだ。
それでも、と俺はあることを思いついた。
(慰めになるかわからないがな……)
吉野に気付かれないようにこっそりと電話をかけにいき、何食わぬ顔で夕飯の後片付けに戻った。


明日もちゃんと早起きしたいから、と今晩はいつもより少し早めに床に就いた。並べて布団を敷き、襖をあけて網戸にすると、月の光が差し込んでくる。
早起きすると言ったくせに吉野は寝付けないらしく、横になってもいつまでも目を閉じずに星空を眺めていた。
「トリ、寝ちゃった?」
「……いや、起きてる」
小声で吉野に呼び掛けられた。も吉野の様子が気になって、目は閉じていたものの眠っていなかった。
「星がすごい」
「そうだな」
外を眺めていた吉野だったが、向きを変えて俺の方を向く。
「ちっちゃい頃さ、夏休みに俺んちでアニメの映画見たの覚えてる?」
「……まあ、あっただろうな」
小さい頃はお互いの家を行き来して、そんな風に遊んでいた。
「そんで、俺が泣いてトリを帰らせなかったの」
「ああ、少し思い出してきた」
くすくすと懐かしそうに吉野が笑う。
あの時、吉野は珍しく神妙な顔つきでアニメを見ていた。実際に子供がはしゃいで盛り上がるような作品ではなかったのだが、見終わって俺が帰ろうとした途端、吉野は泣きじゃくり始めたのだ。俺の服の裾を引っ張って帰るなと言う吉野に、俺も吉野の母親も困惑してしまった。
結局、電話を借りて母親に電話をかけ、一晩吉野の家に泊まっていいかと尋ねたのだった。吉野の家に泊まることもその逆もよくあることだったので、すぐに母親は俺の着替えや歯ブラシを持って吉野の家にやってきた。
その晩、吉野と手を繋ぎながら二人並んで眠ったことは忘れないだろう。吉野に言われるまで泊まった経緯は忘れていたけれど、握った吉野の手の感触はちゃんと思い出せる。
「あの時さ、なんかトリのこと出てくるキャラに似てるなーって思たんだよね」
「………?」
「そしたらトリがいなくなっちゃったらどうしようって恐くなって」
その作品のラストは、主人公といっしょに銀河を旅していた親友が実は死んでいたことがわかり、終わる。幻想的でどこか不気味な星空と、ラストシーンで繰り返される、さようなら、という言葉はなんとなく今でも覚えている。不思議で悲しいような話だったが、だから吉野はあんなに泣いてしまったのだという。
一晩俺の手を掴んで離さないで、朝になってようやく安心したらしい。
「意味わかんねーって思うかもしんないけど、トリがいなくなるって考えるだけですごく恐かった」
そして小さな声で、今も、と付け加えた。もしかしたら吉野は同時にあの花火大会の夜のことも思い出しているのかもしれない。
俺はなんと答えたらいいかわからず、黙って吉野の話を聞いていた。
「……そっち、行っていい?」
「ああ」
自分の掛け布団をめくって吉野を迎え入れると、俺にくっつくようにして吉野が隣に寝転んだ。
手の甲と甲が触れ、二人同時に手を握り合った。驚いて顔を見合わせたが、照れた吉野はすぐ天井の方を向いてしまった。
「夏休みが終わっちゃうのって、すごく嫌じゃん?」
「すごく、とまではいかないが、名残惜しいのはわかる」
「俺、子供の頃は毎年夏休みの終わりになると、大人になったら夏休みないんだなあって憂欝だったんだよね」
楽しい夏休みが、人生のうちあと何回訪れるのだろう。そんなことを考えていると、余計に夏休みが終わるのが寂しく感じたに違いない。
俺も社会人になってからは、昔のようにアホみたいに長い夏休みは幻だったんじゃないかと思うくらいだ。同じ夏は二度とこないし、懐かしんでもそこへ戻ることはできない。
「確かにここ数年は夏?休み?何それ?って感じだったじゃん。でも今年ここに来て思った」
吉野はしんみりとした口調で言った。
「大人になってもちゃんと夏は来るんだなーって」
俺も吉野も、もう子供ではない。
仕事もあるし、休める期間もたかが知れている。だけど、照りつける日差しも、通り抜ける風も、草花の匂いも、蝉の声も、満天の星空も、全部ちゃんと夏なのだ。
吉野の言葉に、俺がこの一週間感じていた心の安らぎの正体がわかったような気がした。俺たちが変わっただけで、夏が変わってしまったわけではないのだ。
「五十年後もたぶん変わらないよな」
「……五十年後?」
「うん。絶対俺家買うから、そしたら五十年後もトリといっしょに夏休みがしたい」
きっぱりと吉野は言い切った。五十年後も俺といっしょにスイカを食べたり花火をしたりしたいと言ってくれた。
そんなこと、昔の俺なら夢みたいなことだと思っただろう。だけど今ならちゃんと現実味を伴って想像できる。畳の上で二人で昼寝をしている、ロマンチックでもなんでもないけれど幸せな未来だ。
隣にいる吉野の方を向き、繋いでいる手と反対の手で吉野の肩を抱いた。しばし指を解き、吉野も俺の背中に手を回してきた。
俺も腕の力を強めようとして、胸に顔を埋める吉野の呼吸が少しおかしいことに気付く。
「千秋、泣いてる……?」
「な、泣いてねー……し……」
見せまいとする吉野の顔をやや強引に上げさせると、睫毛が濡れているのが見えた。親指で涙を拭い取るようにすると、吉野は鼻をすすりあげた。
すんすんと鼻を鳴らす吉野の背中をあやすように撫でると、幾分落ち着いたようだ。
「トリがいなくならなくてよかった。今もいっしょでよかった」
「千秋……」
そうつぶやかれた吉野の言葉に、胸が締めつけられた。泣いて喜ぶべきは、俺の方だというのに。
吉野の頭を撫でながら、一生懸命抱き寄せる。最初は照れていたものの、そのうち吉野はおとなしく身を委ねてくれた。
「俺もお前とここに来られてよかった」
「トリ……」
「いい予行練習になったからな」
老後の、と耳元で囁いてやると、吉野は表情を綻ばせた。



俺たちがどんなに変わっても二人いっしょにいる限り、ちゃんと夏はやって来るだろう。それを見逃さないように、夏が来るたびに吉野といっしょにいられる幸福を噛み締めよう。
一年、十年、五十年。
吉野がいつか言っていたように、きっとあっという間に過ぎていくはずだ。


「トリ、キスしていいよ」
 ふいに吉野がそんなことを言い出す。
「していい、じゃなくてしたいって言ってほしいんだが」
「……することは変わんねーからいいだろ!」
 吉野の唇に柔らかく触れると、吉野の方からも押し当てるようにキスを深めてきた。舌をつけたり離したりしながら、何度も飽きずにキスを繰り返す。それ以上に行為には進まなかったが、今晩だけはキスだけで満ち足りた気持ちになることができた。
吉野の反応が薄くなってきたので唇を離して様子を伺うと、すでに寝息を立てていた。キスをしながら寝てしまうとは器用なもんだと笑ってしまう。
子供の頃からまるで変わっていない吉野の寝顔を見ながら、俺も目を閉じて最後の夜を惜しんだ。





昨夜のメランコリーが嘘のように、明るい顔をして吉野は起きてきた。少し心配していた俺に、吉野が笑いかける。
「そりゃあ帰りたくないけどさ、家買うためには仕事しなきゃだもんな!」
何を悟ったかは知らないが、吹っ切れたならそれでいい。帰ってからも原稿へのモチベーションを保ってもらいたいものだ。
元気よくラジオ体操を終えたあと、手作りの出席カードを持って俺の方に走り寄ってきた。
「皆勤!誉めて!」
「はいはい、よくできました」
最後の一つの欄に判子を押してやると、吉野は満足そうな顔をした。
「この生活リズムが帰っても続けばいいんだがな」
「うーん、それはどうかな~」
「……他人事みたいに言うな」
先が思いやられる吉野の発言にため息をつく。

吉野は判子が六個押されたカードをひらひらさせて、こんなことを言いだした。
「毎日ちゃんと起きたから、なんかご褒美ちょうだい」
「ご褒美って……、お前が言い出したことだろうが」
「だってさー、俺がこんなに毎日早起きするなんて珍しいじゃん!」
子供のようなことを言う吉野に呆れてしまったが、あのことを告げるのはこのタイミングではないか、と思いついた。
咳払いを一つして、やや勿体つけるように俺は吉野に言った。
「わかった。ご褒美が欲しいんだな?」
「う、うん。えっ?ほんとにあるの?」
みるみるうちに吉野の表情は期待で明るくなっていく。
「ご褒美は、夏休みの一日延長だ」
「…………どういうこと?」
きょとんとする吉野に種明かしをした。


実は昨晩、吉野に気付かれないようにこっそりと高野さんに電話をかけた。休暇を一日延長しても構わないかお伺いを立てるためだ。
もともとこの休みを取るにあたって、もう少し長くてもいいと言われていたので、もしかしたらという気持ちで願い出た。思っていたよりすんなりと許可が出て、一日長く休みをもらえることになったのだった。
経緯を説明すると、吉野は感動で言葉もないというような顔をしている。
「ま、ここは今日までしかいられないが、車も明日まで借りてお前の好きなところ連れてってやる」
「……ま、マジで……?いいの……?」
「仕事も頑張ってたしな」
だからそのご褒美だと言うと、いきなり吉野に抱きつかれた。
「やばい……すっげー嬉しい!ありがとう、トリ!」
「どういたしまして」
「俺、トリのそういうところがほんと大好き!」
いつもだったら、それはどういう種類の『好き』だ、と問い返しているところだが、尋常でない吉野の喜び様に黙って受け取っておくことにした。
吉野は俺の腕の中で、やりたいことを指折り数えている。
「どうする、吉野?」
このまま車で別の近場へ出掛けるのも構わないし、帰ってのんびりするのも構わない。吉野の提案を聞くと、弾んだ声が返ってきた。
「うーんと、まず本屋に行って、ラーメンのガイドブック買って、うまいラーメン食べに行こうぜ!」
「ああ、いいよ」
「それから、泳ぎたいからプールのあるホテル探そ!おしゃれなやつ」
「うん」
「そんで部屋あいてたら一泊して、帰ったら漫画読みながらトリのご飯食べたい」
プランを数え上げるたびに俺も表情が緩んでくる。
吉野が喜ぶことなら、本当に俺は何でもしてやりたいと思う。説教こそ絶えないけれど、いっしょに過ごすうちに呆れるほど甘やかし癖がついてしまった。



「トリ、そうと決まったらさっさと荷物まとめようぜ!」
「ああ、そうだな」

忙しなく走り回る吉野の背中を見て、来年、いや、もっと先の未来まで毎年訪れるであろう夏に思いを馳せた。



END
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