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絵とか文のBL2次創作サイト(純エゴ、トリチア、バクステの話が多いです)
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2012年10月に発行したトリ誕生日本です。
(なんで秋にトリの誕生日本作ろうと思ったんだろう……)
この原稿がやや難産だったのとちょっと柳瀬にひどいかなと思ったり高屋敷の登場が都合よすぎるかなと思ったりしたのでしばらくオンにはお蔵入り状態だったんですが、読み返すとやっぱり懐かしいのでアップしました。



ピクシブにもアップしました。




拍手[6回]


+ + + + + + + + + +




◇ But, Happy Birthday. ◇




胸が痛い。
誰かを好きになるのは初めてじゃないはずだった。ときめきという感情もちゃんと知っているし、人並みの恋愛感情もあると思っていた。
だけど、こんなのは知らない。
自分で描いてるくせして、こんな少女漫画みたいな胸の痛みが本当にあるとは思わなかった。これは初恋じゃないはずなのに、何もかもが初めてで戸惑ってしまう。『初めての気持ち』という使い古された単語が、リアルな実感をともなって俺の頭を行き来していた。






トリと付き合い始めてから会う時間が増えたとは言い難いが、その密度は濃くなった気がする。以前だったらトリが差し入れを持ってきてくれた時は、俺が差し入れを食べている間にトリがたまった家事を片付けてくれて、原稿の打ち合わせをしておしまいだった。
だけど今は俺が差し入れを食べている間、トリは向かいに座って俺の話を聞いてくれる。俺が食べ終わって話したいことを話しきると、トリは家事を始める。そうすると時間が遅くなるので、トリがうちに泊まっていく。
俺が泊まるように勧めたり、トリから言い出したり。
今日もそんな感じで、俺がもう少しだけと原稿を進めている間、トリがシャワーを浴びていた。
「吉野、ビールもらったぞ」
「どーぞどーぞ」
ぷしゅ、とビールの缶を開けながらトリが俺のところへ来た。うちにあるビールは俺よりもむしろトリによる消費量の方が多いような気がする。
ビールを片手に、トリは机の上を覗き込んで俺の作業の進行状況を確認した。
「まだかかりそうだな」
「うん」
今日中にペン入れまで終わらせたいと俺がさっき言っていたので、もう少しかかると判断したんだろう。
俺にそう声をかけると、トリはソファーでビールを飲み始めた。
「……先寝てろよ」
「別に気にしなくていい」
「いいって。トリも明日早いんだろ?」
俺がそこまで言うと、渋々といった風に寝室に向かった。
「おやすみ。無理するなよ、とはスケジュール的に言えないが、頑張ってくれ」
「うん、おやすみ」
ぱたん、と寝室のドアが閉まり、俺は胸を撫で下ろした。と同時に、ぎゅっと胸が痛くなる感覚に襲われる。
(……まただ)
以前だったら、起きて待っていようとするトリのことなど気に掛けなかったんじゃないかと思う。それからトリもためらわずに俺のベッドへ向かったけど、以前のトリならソファーで寝ていたはずだ。
付き合う前には何でもなかったことが一つ一つ気になって、考えて、色んなことがわかる。
トリが起きて待っていてくれようとしていることに、俺が気付けるようになったこと。それを当たり前のことじゃなくてトリの優しさだとわかるようになったこと。トリが俺のベッドで寝ていていいんだと思ってくれるようになったこと。
全部を総合して考えると、
(ああ、俺たち付き合ってるんだな)
とか、
(恋人なんだな)
とか、そういう実感になる。
そんな時妙に気恥ずかしくなり、さらに胸が痛くなる。


とくにトリの優しさに気付いた時だと思う。
今までは何とも思わずに当然の顔で受け取っていた優しさを意識した時、嬉しくて切ないような不思議な気分になる。
(当たり前、なんて幻想だった)
トリの性格は優しいと思うけど、俺の世話をやいてくれるのはその性格以上に特別な感情があったからに決まっている。だけど、俺は気付こうともしなかった。過去の自分は一体どれだけ無神経だっただろう。
だけど今は多少は気付ける。昔よりは敏感になっていると思う。
それでついため息をつくのだけど、そのあとどうしたらいいのかがわからない。どうやったらこの胸の痛みが消えるのかわからない。


「俺も寝ようかな」
最後の一枚のペン入れを終えて、俺はシャワーを浴びた。面倒くさいのでそのままベッドに潜り込もうかと思ったが、ちゃんと風呂に入れとトリにお説教されるのがオチだ。髪の毛はまあ乾かさなくても大丈夫だろう。
寝室のドアを開けると、キングサイズのベッドの端にトリが眠っていた。別に堂々と真ん中で寝ればいいと思うのだが、そうはできない性分らしい。
ベッドサイドに跪いて、トリの寝顔を眺める。眠っている時は眉間の皺がなくなり、少し可愛く見えるのはこのせいかも知れない。
昔は俺より小さかったくせに、ぐんぐん成長したトリは、今では簡単に俺の体を籠絡する。それが悔しいと思わないこともないけど、こうやって子供の頃の面影が残る寝顔を見たりしていると、どうでもよくなった。
(幼なじみはやめられるもんじゃないし)
今の俺たちがどんな関係になろうと、子供の頃の思い出は変わらない。むしろ大事なのは、これからだと思う。
などと真面目なことを考えつつも、具体的に何をすればいいかまでは考えていない。ただ、ぼんやりとこの先もトリといっしょにいられればいいな、と思うだけだ。
「……おやすみ」
トリを起こしてしまわないようにベッドの反対側から回り込み、隣に寝転んだ。
明日の朝はきっとトリの方が先に起きて、出勤していくのだろう。たぶんキッチンに俺の朝食の用意をして。
そんなことを考えていると、寝返りをうったトリに抱き締められた。起こしてしまったかと思ったが、寝呆けているだけのようだ。
「あんまびっくりさせるなっつの」
トリの腕に納まったまま小声で文句を言うと、口の端で笑われた気がした。






案の定、翌朝俺が目を覚ました時にはトリはもういなかった。いっしょに寝てたのだから起きる時に気付いてもいいと思うのに、自分の寝汚さに呆れてしまう。
キッチンへ行けば予想通りにおにぎりと卵焼きが置いてあり、トリの律儀さに感心した。
もそもそとそれを食べているうちに玄関のチャイムが鳴り、優がやってきた。
「おはよー」
「おはよ。ちょっと早かった?」
「いや、そんなことないよ」
「嘘つけ、寝癖だらけじゃん。どうせ今起きたところだろ」
「……その通りです……」
優の鋭い突っ込みに、返す言葉もない。
今週から優たちアシスタントに来てもらう期間に入ったので、優とは毎日顔を合わせている。優と毎日顔を合わせるようになると、それに反比例してトリとは会わなくなっていく。
作業内容のせいもあるかもしれないけど、ネームと下書きが終わって作画作業に入ると、トリはうちの仕事場に来づらいらしい。前にトリがそんなことを言っていた。
確かに絵に関しては優のようにはいかないだろうけど、修羅場中にトリが顔を見せてくれたって足手纏いだなんて思わないのに。トリはよくそういうところで、一人で勝手に気を回す。
(そういえば優にも何か言われたんだっけ)
トリと優が言い争いをしているのは見慣れた風景だったけど、俺の知らないところでそうやって牽制(というのかわからないけど)しあっているのは少なからずショックだった。今なら二人が仲悪いのもわかるけど、原因が原因なのでうまく仲裁もできない。二人ともそのことで俺を責めたりする奴じゃないので、尚更申し訳ない気がする。
(二人とも俺には勿体ないよなあ)
まるで漫画のヒロインのようなことを考えながら、卵焼きの最後の一つを頬張ると、正面に優の顔があった。
「その顔。羽鳥のこと考えてる顔だな」
「…………っ」
思わずむせそうになる胸を叩き、動揺を鎮める。
おそるおそる優の表情を見つめると、予想外に楽しそうな顔をしてた。
「カマかけただけだよ。それ羽鳥の作った飯だろうなって思ったから」
「ゆ、優~……」
「怒るなって。千秋が顔に出やすいのは本当だし。あ、コーヒー飲む?」
「なんだよそれー……、飲むけど」
そう言うと優は勝手知ったるキッチンとばかりにコーヒーをいれに行った。





優は器用なので、コーヒーをいれるのも上手い。俺が買ったエスプレッソマシンなのに、今では優の方が使いこなしている。
「ペン入れは?」
「昨日終わらせた」
「そっか。んじゃまあ甘めに見積もって、終わるのは締切当日ってとこだな」
原稿の進み具合を俺に尋ねながらカレンダーをめくっていた優が、ふと手を止めた。カレンダーには基本的に仕事のスケジュールしか書き込んでいないのだけど、ある日だけ花丸がついているのに気付いたようだ。
「この日なんかあったっけ」
「あー、えっとー、なんだったかなーっと……」
思い出せないふりをして俺が言葉を濁していると、優にピンとおでこをはねられた。
「千秋、嘘つくの下手過ぎ」
「どういう意味……」
「羽鳥の誕生日。だろ?」
俺が返事できずにいると、呆れたような顔で、隠す必要ないだろ、と言われた。



トリと付き合って二年ちょっと。今年もまたトリの誕生日がやってくる。
付き合ってすぐの頃は、恋人らしいことを何もしていなかったせいで、付き合ってるかどうかの自信もなかった頃で、あと忙しかったので忘れていた。そういえばトリの誕生日に何もしてない、と気付いたのは、自分の誕生日の時だ。
それから付き合って一年が経ち、またトリの誕生日がきた。今度は一応覚えてはいたものの、準備を何もしていなかった。熱中症と疲労で倒れたトリの代わりに家の中のことをして、何でも言うことを聞く券を進呈したけれど、それでよかったかは甚だ疑問だ。

そして今年、である。
「優もトリの誕生日覚えてたんだ」
「中学からの付き合いだから嫌でも覚えるだろ。むしろ千秋が毎年忘れてる方が不思議で、俺いつもすげー笑ってた」
「……意地悪」
「そういう時に落ち込みそうな羽鳥の顔見るの大好きだったから、千秋には感謝してるよ」
「優ってほんとドS……」
さすがトリを泣かせたいと豪語するだけある。
それにしても俺の鈍感さと比べると、優は鋭過ぎると思う。トリはあんまり喜怒哀楽を表に出さないから、落ち込んでても俺は気付いてやれない。なぜか優はよく気付く。
優に言っても、たぶん俺が鈍過ぎるだけと言われておしまいだと思うけど。
(トリの誕生日のこと、優に相談してもいいのかな)
俺にはできないこと、知らないことも、優ならできたり知ってたりするから相談相手にはうってつけだ。だけどこの場合、優は俺のことを好きだった…という経緯がある。それをわかっていてトリの誕生日の相談をするのは無神経かな、とは思うのだけれど、ついつい優に甘えてしまいたくなる自分がいる。
「いやー、実は今までトリの誕生日何にもしてこなくてさー」
笑い話のようにして優に言うと、知ってる、と一蹴された。
「羽鳥はドMだから、今年も何にもしない方が喜ぶんじゃない?」
「それはちょっと……ハイレベル過ぎるというか……」
例え喜んだとしても、できればもう少しノーマルな祝い方をしたい。あと、それで喜ぶトリはちょっと見たくない気がする。
「少女漫画家なのに難儀だねえ」
「漫画と実生活は別物なの!」
「羽鳥の漫画でも描いてやれば?」
優の口調は明らかに面白がっている。
「あーあ、優にプレゼントするなら色々思いつくんだけどなー」
思わずトリに聞かれたら機嫌を損ねるようなことを口にしてしまう。俺と優は趣味も似てるけど、トリとは趣味も全然違う。
というよりトリの趣味が何なのかよくわからない。まるで趣味が仕事のような男なのだ。
(料理も趣味ってわけじゃないみたいだし)
俺に食べさせるために色々作ってくれるけど、一人ならたいしたことはしないと言っていた。優は俺に料理を作ってくれることもあるけれど、一人で料理をするのも好きみたいだ。
それじゃあトリは大学のサークルのようなものをやっていただろうかと考えて、大学時代のトリのことをあまりよく知らないことにも気付いた。同じ大学に入学したものの、学部が違うため、一般教養以外は離れていることが多かった。その上、途中から俺は漫画家になるために大学にあまり行かなくなり、最終的に中退してしまったのだ。
優も大学までは同じじゃなかったので、大学時代のトリのことを知るのはかなり難しいと思う。
(………と、あの人がいたっけ)
学部が同じだったというトリの友人の顔を、俺は思い浮べた。知り合いといえば知り合いだけど、この先トリの思い出話を聞くくらい仲良くなることもないだろう。




結局、幼なじみとはいえ俺はトリについて知らないことも多いんだなあ、ということがわかった。知らないというより、知ろうとしなかった、と表現する方が正しいかもしれない。
勝手に何でも知っているつもりになっていた。
「俺、トリのことあんまり知らないんだな」
ぽつんと呟くと、優が複雑な顔をした。
「付き合ってるからそういうこと考えるの?」
「そう……かも」
少なくとも、単なる幼なじみのままだったらこんな風に悩んだりはしなかっただろう。改めて優の口からはっきり言われると、要するにこれは恋愛感情の問題なのだと突き付けられる感じがした。こういう問題は他人の目を通した方がよく見えるのかもしれない。
ふっと視線を上げると自分を見つめる優と目が合い、ちょっとだけ気まずくてわざとらしくコーヒーをすすった。
「千秋はさ、」
「何?」
「羽鳥と寝てて別人に見えることない?」
「…………ッ!」
優のきわどい言葉にコーヒーを噴き出した。
しかし当の本人は平然としている。
(えーと、寝る、ってそっちの意味……か……な?)
俺がしどろもどろになっていると、
「もっと具体的に言った方がよかった?」
優がニヤッと笑った。
「いや、大丈夫。大丈夫だから!」
慌てて申し出を遠慮すると、優はまたさっきの複雑な表情に戻った。
先程の優の問い掛けだけど、確かにそういうことはあった。基本的にはいつものトリだし優しいけど、その、エロいことを仕掛けてくる時とかは別人だ。俺がこれまで知っている顔とは全然別の表情で、トリも大人の男なんだなあという今更なことを考えてしまう。
「羽鳥、あいつけっこうエロいだろ」
「えっ?なんで優が知ってるの?」
もしかしてやっぱりトリと優に何かあったんじゃ、と思わず聞き返すと、優が机に突っ伏した。
「ごめん。千秋が天然なのはわかってたけど、今の返しはきつかった……」
「どういうこと?……って、あっ……」
そこでようやく自分が言った言葉の意味するところに気付いた。無意識にトリにエロいことをされていると打ち明けてしまったことを悟り、今度は俺が落ち込む番だった。
(トリとのこと口に出すとか……、しかもまた優のこと傷つけちゃったし死にたい……)
「……うん、まあ、全部羽鳥が悪いんだし。お互いに忘れよう、千秋」
「そ、そうなのかな……」
「そういうことにしとこ。とにかく俺が言いたかったのは、」


優の話はこうだった。
曰く、だんだん俺に見えるものが変わってきているのだそうだ。
俺はトリのことを何も知らなかったと思ったけど、それは俺が『知らない』ことに『気付いた』かららしい。
「前の千秋だったら絶ーっ対『知らなかった』なんて言葉出てこなかったと思うね」
そんな風に断言された。
言われてみれば、付き合う前より色んなことに気付くようになったような気がする。昔なら気にしなかったような些細なことが気になるようになったりして。
優が言っているのはそういうことかもしれない。
「だから千秋は落ち込まなくていいよ。見えるようになったってことは進歩だろ?」
「ありがと。優ってすげーやさしい」
なんだかんだで俺を励ましてくれる優にそう言うとふふんと笑われた。
「優しくないよ。羽鳥やめて俺に乗り換えないかなって思ってる」
「それは……」
真剣なのか冗談なのかわからない優の言葉に、返事に窮した。
(優のことも、本当は見えてないのかも)
優の本気のような冗談と、冗談のような本気は未だに判断できないことも多い。優のことについて見えるものが変われば、これ以上傷つけずに済むだろうか。
「……優が何考えてても、俺が優しいって思ったんだから、それでいーの!」
「ありがと。千秋のそういうところ好きだよ」
「優……」
もっと何か気のきいたことを言いたかったけれど、玄関のチャイムが鳴って他のアシスタントの子たちがやってきた。
彼女たちを迎え入れた時には優はもういつもの表情をしていたけど、俺はしばらく優が「好きだよ」と言った時の顔が頭から離れなかった。




仕事と睡眠を繰り返すだけの日々が続き、あっという間に明日はトリの誕生日となった。プレゼントを選ぼうにも外出すらできていない状態だ。そもそも明日会うという約束すら取り付けていない。
プレゼントについて言い訳をさせてもらえれば、これまでのトリの誕生日のことを考えると胸が痛んで仕事に集中できないので、わざと考えるのを避けていたせいもある。……おかげで原稿は何とか締切ギリギリに上がったのだけれど。
完成した原稿をバイク便で編集部に送り、トリからは受け取ったという簡単な電話一本もらっただけで、締め切り前に差し入れを持ってきてくれた時以来、顔は見ていない。

ケーキでも買って、誕生日おめでとう、と言えばたぶんトリは喜んでくれるだろう。プレゼントに何か欲しいものはあるかと尋ねれば、俺が用意できそうな無難なものを教えてくれるに違いない。だけど、それでは俺のこの胸の痛みは治まらないと思う。
(胸が痛い理由がちょっとずつわかってきた)
おそらく優が言ってくれた通りだ。
トリと付き合うようになって、今まで見えなかったものが見えるようになって、知らなかったことがたくさんあることに気付いて、でもトリのことが好きだから知りたくて、だから胸が痛くなる。
今までは自分がトリの一番の親友で、何でも知ってると思ってた。だけど付き合ってから、今まで当然だと思ってた『トリの一番』にものすごく自信がなくなってしまった。
いつでも一番に俺のことを見ていてほしい。
ずっとトリの特別でいたい。
自分に自信がないくせにそういうことを考えてしまうから、トリを信用してないわけじゃないのに元カノとか大学時代の友人とか、すぐに嫉妬してしまう。
(自分がこんなに嫉妬しやすい性格だっていうのも知らなかったしな……)
自分のめんどくさい性格がほとほと嫌になる。


「……気分転換してこよっと」
締切後は外に出るのも億劫だが、このまま部屋にこもっているとどんどん落ち込んでしまいそうだ。とりあえず外に出るだけの身だしなみは整えようとシャワーを浴び、洗濯済みの服を探して着替えた。とくに行く当てがあるわけでもなかったけど、トリと打ち合わせでよく使っている駅前のカフェに行くことにした。
このカフェにはよく行くけれど、よく考えると一人で来たことは少ないような気がした。大体トリと待ち合わせをして利用している。俺の方が時間には余裕があるはずなのに、トリはいつも俺より先に来て待ってくれていた。
そのせいか、今日は一人で来たのにも関わらず、つい店内を見回してトリの姿を探してしまう。
(今の時間は仕事中だから、いるわけないのに)
 さっきまでトリのことを考えていたとはいえ、かなり重症のようだ。それともしばらくトリの顔を見ていないから、自分で思っているよりもトリに会いたいと感じているのかもしれない。自分でもびっくりするくらいの乙女思考回路に一人で照れつつ、それでも念のため、と店内を見回した。
 持ってきたネームをするために奥の席に向かおうとすると、突然誰かに呼び止められた。
「あれ?吉野さんじゃない?」
「え……?」
 声のした方を見ると、そこに座っていたのはなんと高屋敷だった。


「えーと、お久しぶり……です」
「まーまー、とりあえずここ座りなよ。俺もちょうど一人だったんだよね」
 拙い挨拶をすると、強引にそんなことを言われた。
 相変わらず人に有無を言わせない人だ。俺がもう少し口が上手い人間だったら仕事があるのでとか何とか言って断れたのだろうけど、気が付けば向かいの席に座らされていた。トリにまたどうして断らないんだと言われそうだけれど、年中引きこもりの俺に、声をかけてくれた人を無視して奥の席に引っ込み仕事に没頭するという芸当は無理なのであった。
(仕事の話とかもあるかもしれないし……一応……)
 別にやましいことは何もないけど、何となく自分に言い訳をしながら、コーヒーを注文した。
「そういえば吉野さんって大学いっしょなんだよね」
「あ、そうみたいですね……」
この前の打ち合わせの時は高屋敷に舐められないように強気に出ようと思ったけれど、今日はこの調子だ。別におどおどする必要はないとわかっていても、コミュニケーション能力の低さで会話の主導権をとられてしまう。あと単純に苦手なタイプの人間だということもある。
そんな俺などお構いなしに、運ばれてきたコーヒーを一口飲んで高屋敷は言った。
「やっぱり羽鳥といっしょがよくてあの大学にしたの?」
「えっ?」
 なんというか常に話題が唐突で、からかわれているような気すらしてくる。
「高校までずっといっしょっていうのはよく聞く話だけど、大学までっていうのは珍しいよね」
「それは……」
しかし思いがけない質問に、一瞬フリーズしてしまった。たぶん高屋敷にとってはいつものように悪気のない言葉だったんだろうけど、俺は考え込んだ。

確かにトリと同じ志望校だったから、俺はあの大学に行けたと思う。
自分は決して成績優秀な方じゃなくて、俺のレベルからしたら少し上の学校だった。でも、いっしょにそこを受けようと言ってくれたのはトリからだ。
俺はなんとなく大学はトリと離れ離れになると思っていた。俺と違ってトリは頭がいいから、もっと上位の大学に行くはずだと思い込んでいた。先生たちからもきっと期待されてたはずだ。
一応俺も、トリならもっと上の学校狙えるんじゃないの、と言った気がする。トリは確か、そこの経済学部に前から興味があったとか、家から通いやすいとか、そんなことを言っていた。
俺はバカだからトリの言葉を鵜呑みにして、いっしょに勉強できると喜んでいた。
けど、今考えれば俺が行くからこの大学にした可能性もある。俺の勉強をみてくれるためかもしれないし、俺の側にいるためかもしれないし。
とにかく偶然志望校が同じだったわけではないだろう。
今なら色々察することもできるけど、当時はトリに面倒をみてもらえるからラッキーくらいにしか考えていなかった。
(俺ってもしかして、トリの人生にかなり影響しちゃってる……?)
俺自身はもう全然覚えてないけど、何か重大なことを何回かトリに言っているらしいことはほのめかされた。わりと考えなしに発言する性格だと自分でもわかっているけど、もしかすると俺はトリの人生で責任をとらないといけないことがかなりあるのかもしれない。
(責任…責任をとる…。って結婚……?じゃなくて……)
 そこにこれから俺がトリに何をしていくべきかのヒントがあるような気がして一生懸命考えた。大学のことだけじゃなくて、トリが漫画編集になって俺の担当になってくれたこともそうだ。トリが俺を選んでくれて、それを俺は嬉しいと思っている。じゃあ、その嬉しい気持ちを俺は何に変換したらいいのだろう?
 その方法がわからないから、こんなにも胸が痛くなるんじゃないだろうか。
トリのことを知りたいだけじゃない。トリに何かをしてあげたい。
この焦れったい気持ちに、たぶん俺は苛まれている。




「吉野さん?」
ぼーっと考え込んでしまった俺に、怪訝そうに高屋敷が声を掛ける。
(なんか、この人に知られちゃいけない気がする)
高屋敷はトリのことを狙っていた。
トリに迫っている場面を目撃した時に、つい頭に血が上って自分がトリの恋人だと怒鳴ってしまい、その時はあっさり引き下がられた。けど、本心では未だにトリのことをどう思っているのかもやもやしてしまう。
それに失礼なことを言う人だけど、考え方とか仕事に対する姿勢がかなりしっかりした人だということもわかる。俺が幼なじみの特権を乱用してトリに甘えたい放題なことを知られたら、何を言われるかわからない。最悪、俺はトリには釣り合わない、くらいのことを言われてもおかしくない。
正直、自分でも胸を張ってトリの恋人に相応しい人間だと言える根拠が見つからないくらいだ。
高屋敷の整った顔立ちを見ながら、急に以前に啖呵を切ったことが恥ずかしくなってきた。
一人で赤面している俺を見て、高屋敷がふっと笑った。
「羽鳥と今付き合ってるってことは、その当時から羽鳥のこと好きだったりしたの?」
「……どういうことですか……?」
「いや、幼なじみだし、昔から吉野さんが羽鳥のこと好きだったとかそういう感じなのかなって」
「俺が……?」
そして俺はハッとした。こいつは知らないのだ。
トリが二十八年間片思いしていたことを。
確かに俺とトリのスペックを比べると、普通の人はトリが俺に片思いとは思わないんじゃないだろうか。いや、十中八九俺が言い寄ったと思うに違いない。
旅行先でいっしょになった時も俺の方が拗ねていたし、部屋に押し掛けて鍵を投げ付けて追い出すような真似をしたら、相当トリのことが好きな人間だと思われても仕方ない。これまでの自分の行いを振り返り、羞恥で逃げ出したくなった。
と同時に、高屋敷に対して妙な対抗心が湧いてきた。
トリのことで知らないことがたくさんあると思ったけど、こいつもきっと知らないことがたくさんあるに違いない。そう思った瞬間、空元気のような衝動に突き動かされて、口を開いていた。

「そうですよ」

高屋敷が一瞬ぽかんとしたのは、俺の言葉に迷いがなかったせいか、返事が唐突だったせいか。
それでも俺の口は止まらなかった。
「俺はずっとトリが好きだったんです。面倒見がよくて優しくて、……最近ようやく付き合えたんです」
自分の口じゃないみたいにペラペラ嘘が出てくる。
何がしたいのか自分でもよくわからなかったけど、高屋敷の前でトリの片思いを暴いてはいけないような気がした。
「……ずいぶんのろける人だったんだね」
呆れたように高屋敷が言った。
「別に……。トリは俺には勿体ないって話です。あなたもそう思うんじゃないですか」
 自分でもびっくりするくらい冷静な声が出た。馬鹿なことを言っている自覚はあるけど、たぶんこれが恋人のプライドというやつなのだと思う。
「羽鳥のことは惜しいけど、羽鳥が吉野さんに勿体ないなんて思ったことはないけどね」
「……それでも俺が、俺はトリじゃないと、」
もはや、会話ではなく俺のひとりごとのようになっている。
自分の言葉に収拾がつかなくなりパニックになりかけたとき、聞き覚えのある声がした。
「嘘はそこまでにするんだな、吉野」




「…………トリ……?」
背中から聞こえた声に振り返ると、そこにはトリが立っていた。
「え?なんでトリがここに?」
トリと高屋敷の顔を交互に見ると、トリは驚きつつ呆れた顔、高屋敷は楽しそうな顔をしている。
「それはこっちの台詞だ。どうして吉野と高屋敷がいっしょにいるんだ」
「それは……この人が……」
「いやー、羽鳥と待ち合わせ中って言わなかったのは悪かったかなって思ってるよ。ごめんね?」
全然悪怯れた様子もなく高屋敷が言う。完全にだまされた。
がっくりとうなだれた俺の隣にトリが座った。と同時に、俺はさっきまで自分が何を口走っていたかを思い出した。
(聞かれた……よね……?)
トリが通路側の席をふさいでいなければ、このまま走って逃げ出したいくらい恥ずかしい。俺としてはちょっと高屋敷を牽制できたらそれでよかったのに、またか当のトリ本人に聞かれるとは。
絶対あとから何か言われるし、最悪何かされるだろう。しかしトリに何をされても、調子にのったさっきの発言を聞かれた恥ずかしさには及ばない。
「で、何が嘘だって?羽鳥」
「わーわーわー!」
とことん空気を読まない高屋敷の追求に慌てると、それを制してトリが言い放った。
「片思いしてたのは俺の方だよ、高屋敷。子供の頃から、ずっと」
「……羽鳥が?」
真剣なトリの声色に、口を挟むことができなくて俺は黙った。
(別にわざわざほんとのこと言わなくてもいいのに)
これじゃあつまらない嘘をついた俺がまるっきりバカみたいだ。……いや、実際バカなんだけど。
トリの言葉を聞いた高屋敷は、ちょっとだけつまらなさそうな顔をした。
「詰めの甘いこの人が、どうやって羽鳥をオトしたのか興味あったんだけどな」
「……悪かったな、詰めが甘くて」
不貞腐れてそうつぶやくと、ぷっと吹き出された。
「まあまあ、そういうところが羽鳥はよかったのかもね」
「……はいはい」
隣を見れば、トリは必死にニヤニヤ笑いを堪えている。誰のせいでこんな恥ずかしい目に遭っているのかわかっているのだろうか。


とりあえず高屋敷の待ち合わせ相手であるトリが来たということで、俺は帰ることにした。このまま奥の席に移ってネームをし始めるほど、俺の肝はすわっていない。
何しにここに来たんだとトリには言われたけど、めんどくさかったので、あとで説明するとだけ言った。
「すまん、吉野。高屋敷にはあんまりお前につまらんちょっかい出すなと言っておくから」
「……いいよ。俺もこの人からトリの大学時代の話とか聞きたいし」
俺の返事にトリは面食らったようで、少しだけ溜飲が下がった。高屋敷はそれを聞いていつでも大歓迎というような顔をしたけれど、単にトリを驚かせたかっただけなので、できれば仕事以外での接触はあまりしたくないと思う。

カフェを出て歩き始めるとすぐに携帯電話へメールが届いた。
『夜、お前の部屋に行くから待っててくれ。飯も作ってやる』
とのことだ。久しぶりに食べるトリの料理に胸をときめかせながら、いつもより早足で家へ帰った。



その日の夜、スーパーの買い物袋を手に、トリがやってきた。
「……昼間は悪かったな」
「や、トリは悪くないし……。ていうか、こちらこそお見苦しいところを……」
「………」
 高屋敷の性格もあってあの場では色々あっさり流してしまったけれど、二人で向かい合って昼間の出来事を思い出すと、お互いに相当恥ずかしいことを言っていたことに気付かざるをえない。トリは突然自分の片思いをカミングアウトし出すし、俺に至っては自分の方がトリのことを好きだったなどという狂言を言い出す始末だ。
「言いたくなかったら構わないが、どうしてあんな話になったんだ」
 トリの質問はもっともだ。俺の方こそどうしてああなったのか教えてほしいくらいだ。
(あの気分は何だったんだろう)
 トリのために何か言わなきゃ、という焦燥感に襲われていた。結果的にトリのためには全然ならない発言だったけど、言わなくては、と思ったのだ。
「うまく言えないけど、トリが、その、俺のことをずっと好きだったっていうことを、他の人に言っちゃいけない気がしたから」
 そしてほんの少し、自分以外の人に知られたくない、自分だけが知っていたいという気持ちも混じっていた。要するにただの劣等感と独占欲だ。
 小さな声でそう言い訳すると、トリは柔らかく笑った。
「いいよ。嘘でもなんでも、お前の口から俺が好きだって聞けて嬉しかったからな」
トリの控えめな言葉を聞いて、大声で俺は反論した。
「……ッ、嘘じゃない!」
「え?」
「好きになった順番は違うけど、好きっていうのは嘘じゃない」
「吉野……」
 トリの片思いを隠そうとしたから変な言い方になったけど、それでもあの時高屋敷に言ったことは、告白の順番以外は全部本当だ。トリは優しくて面倒見がいいし、今でも俺にはもったいないと思ってるし、それでも俺はトリじゃないとだめだっていうのも本当だ。
「……ありがとう、吉野」
 震えるような声でトリはそう言い、俺の腕を引いて抱き寄せた。頭に血が上ると迂闊なことを言ってしまうこの性格を何とかしたいとは思っているけれど、こうやってトリに抱き締められると反省も自戒も全部吹き飛んでしまう。学習できないのは性格の他に、トリに原因もあるんじゃないだろうか。


 そっとトリの背中に手を回してその体温を感じていると、トリの背中越しにカレンダーが目に入り、俺は重要なことを思い出した。
「そうだ、トリ。忘れないうちに」
「どうした?」
「原稿ばっかでプレゼント用意できてないし、正直今日もトリにご飯食べさせてもらう気満々だったけど、でも一応。……誕生日、おめでとう」
 ちょっと早いけど、とつぶやくより先に、トリに唇を塞がれてしまった。唇を開いて舌を触れ合わせながら、俺は感嘆のため息をついた。
(ああ、本当にこれに弱い)
 トリの唇は、俺の知りうる最大の甘さと切なさをぶち込んだ味がする。胸は苦しいのに、幸せで死んでしまいそうになる。
 俺にはこんなすごいものを与えてあげられそうにはないから落ち込んでしまうけれど、その分俺が幸せだということは精一杯伝えたいと思う。首に抱き着いて自分からキスを深くし、一旦唇が離れたあとも何度も小さなキスを降らせた。
「……あと二十五回、かな」
 にやりと口角を上げてトリが言う。
「な、何それ……」
「プレゼント。誕生日の数だけキスしてくれるんだと思ったんだが」
 去年の誕生日の俺の台詞を持ち出されて、俺は真っ赤になった。我ながらつくづく恥ずかしい台詞を生み出してしまったものだ。
「言っておくが、先に言い出したのはお前だからな」
「わ、わかってるよ!」
 覚悟を決めて、再びトリに唇を押し付けた。どうせそのうち二人とも理性がぶっ飛んでキスの回数などわからなくなるはずだ。そして、その頃にはちょうど日付は誕生日を迎えているだろう。


 トリにキスをしながら思ったことが一つある。
 もっとトリのことは知りたいし、できるならトリの好意に対して何かしてあげられる人間になりたいと思う。
 でも、胸の痛みはなくならなくていいかな、って思った。
 何故かというと、それは苦しくて痛いけど、同時に気持ち良くて幸せだっていうことに気付いたせいだ。有史以来何千億人もの人が恋に傷ついて、それでも恋をやめられない理由がわかった気がする。

「キスがプレゼントとか、安上がりでいいな」
 照れ隠しにそんなことを言うと、大真面目に返事をされた。
「安上がりかもしれないが、千秋は世界に一人しかいないから」
「……またそういう恥ずかしいこと言う……」
 だから一つ一つが大切、と言いたいらしい。

 トリは頭がいいけど馬鹿だなあと思うのは、こういう時だ。
それは俺にも言えることだって早く気付けばいいのに、と思いながら、もはや回数など数えていない何回目かのキスを進呈したのだった。






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