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「……おはようございます」
「ああ、おはよう」
エレベーターでいっしょになったのはエメラルドの編集長・高野だった。
「お前んとこの七光り元気?」
「ええ、今修羅場ですから元気に走り回ってますよ。昨日も玄関が寝床だったそうです」
「そりゃ元気とは言わねえだろ」
素っ気なく答える高野の顔も、よく見ると黒くクマができている。エメラルドは今校了か、と納得した。
少女漫画誌である月刊エメラルドは丸川書店コミック部門の中でも少年ジャプンと一、二を争う売り上げを誇る。しかしそのエメラルドも、高野が編集長として丸川に来るまでは成績もいまいちなダメ雑誌だった。すでに当時取締役だった俺は、エメラルドを建て直す方法を考えていた。
そこで俺が抜擢したのが高野だ。
抜本的な改革が必要だと頭でわかっていても、それを実行に移せる奴はなかなかいない。前職の業績で高野はそれができる男だと思ったし、実際面接をしてみて感触も悪くなかった。
小野寺出版の御曹司が中途で入ってくるまでは編集部で高野が一番若く、さらにいきなり編集長就任という人事だったのにも関わらず、今では編集部をうまく束ねている。
エメラルドの売り上げを報告されるたびに、俺は自分の人を見る目の確かさを改めて確信し、一人にやにやするのだった。
「専務も七光りと言われたことがあったんですか」
「あったよ。当たり前じゃねーか」
最近高野の部下としてに小野寺出版の一人息子が入ってきた。前はおとなしく自分のところで働いていたみたいだが、七光り扱いにうんざりしたのか丸川へ転職してきた。
七光り扱いが嫌になるのは俺にも覚えがあるので、気持ちはわかる。俺にどれだけ実力があろうとも、妬む奴は言うものだ。
俺の場合は作家になりたいというわがままが七光り扱いからの逃避だった気がする。
本は好きだし、売れる本を作る才能はあったし、腕一本で作家として成功すれば、七光り扱いしてきた奴らも文句は言わないだろうと思っていた。だけど、秋彦の小説を読んで、自分に作家の才能がないことを思い知って。
結局は親父と同じ道を歩いているわけだが、それはちゃんと自分で選んだ道だ。ある程度レールはあるにしろ、誰かに押し付けられたわけじゃない。
だから親の敷いた線路に乗っても逃げてもその先は自分次第だけどな、と昔の自分を思い出した。
「小野寺が何か言ってたのか」
「いえ。ただ専務のことは気にしてるみたいですがね」
「ふーん」
確か小野寺は嘱託の契約社員として丸川に入ってきたはずだ。いつまでも丸川にいる保証はないし、高野としても色々思うところがあるのかもしれない。
前の会議でなかなか面白い企画書を出してきたのを覚えているが、高野の薫陶を受けているのだろう。

「ずいぶん懐かれてるみたいじゃねーの」
「上司がいいんじゃないですかね」
「自分で言ってりゃ世話ねえな」
大真面目にそんなことを言うとは、よほど高野に可愛がられているとみえる。
親が社長だからといって、必ずしも小野寺が俺と同じような道を辿るとは限らない。好きにすればいいし、実際俺も好きにしてきた。だけど、誰からも何からも影響を受けていないとは言えない。
(朝比奈がいなかったら、か)
もし俺の人生に朝比奈の存在がなかったら、俺はどんな選択をしていただろう。
全然別の人生になっていたかもしれないし、今とあまり変わらないかもしれない。


エレベーターの前で高野と別れるとタイミングよく小野寺が顔を見せた。
小野寺は俺に挨拶をすると、すぐに高野の方へ駆け寄っていく。そんな二人の姿を見ながら、ぼんやりと昔の自分のことを考えていた。






「…………で、なんでいちいち俺のところに来るんです、井坂さん」
「いいじゃん秋彦~、俺とお前の仲だろ?」
秋彦にあからさまに不機嫌な顔をされたのでコーヒーを運んできたチビタンに抱き着こうとすると、さらに険しい顔をされた。


仕事帰りに秋彦の家に寄るといつも通りチビタンといちゃついていた。それはまあいつものことなので、気にせず慰めてもらおうとぬいぐるみをかきわけて割り込んだところ、チビタンは慌ててキッチンに逃げ現在に至る、というわけだ。
本気で慰めてもらおうなんて思っちゃいないが、秋彦の迷惑そうな顔を見るので時々こんな風にここへ来ているのだった。
数年前からチビタンをからかうという楽しみも増えたのが喜ばしい。
「今日はどうしたんですか。また浮気でもされたんですか」
驚くほど興味なさそうな口調で秋彦が尋ねてくる。いちゃいちゃタイムを邪魔されたのが頭にきているのだろう。
「されてねーよ。ていうか前のも別に浮気じゃなかったからな」
「はいはい、よかったですね。さっさと帰ってください」
「それがよくねーんだよ~」
「おい美咲、玄関まで捨ててこい」
「無理です!その人未来の上司!」
青ざめるチビタンに舌打ちをすると、秋彦は言った。
「秘書に電話して回収してもらいますよ」
「残念でしたー、その秘書は今いません」
「捨てられたんですか」
「………………」
「美咲、コーヒーじゃなくて紅茶」
「は、はーい……」




いれてもらったブランデー入り紅茶を飲みながら今までの愚痴を聞かせると、秋彦は興味なさそうな顔のまま最後まで聞いていた。
チビタンは紅茶を運んできたあとすぐに部屋から引っ込んでしまった。気を遣っているのか余計な話を聞きたくないのかはわからない。
「その話を俺に聞かせて井坂さんはどうしてほしいんですか」
「同情をひいてお前んちの忍者使わせてもらおうかと思って」
「井坂家にも忍者くらいいるでしょう」
冗談のような会話をしていると、ふと秋彦が何か思い出したような表情をした。そういえばうちの忍者が、と秋彦はこんな話を聞かせてくれた。
まるで旅行にでも行くような荷物を持った朝比奈が、井坂家へ来て親父に挨拶をしていたらしい。自由に旅行へ行く権利が朝比奈にないわけではないが、いちいち親父に挨拶をしていくというのは少し不審だ。まるで親父が朝比奈をどこかへ逃がす手助けをしているようではないか。
「朝比奈の行き先は聞いてねーの?」
「そこまでは……。ただ三十年ぶりに行く場所だと」
「…………!」
そこまで聞いて固まった俺を見て、これ以上言うことはないと判断したのか、秋彦はチビタンを探して部屋を出ていった。
(三十年ぶり、ってあの場所しかないよな)
あまり考えないようにしていたが、思いつくのは一ヶ所しかない。
井坂家へ朝比奈一家が来る前に住んでいた土地だ。
その当時の話を俺はほとんど聞いたことはないが、朝比奈も記憶の中に封印していたのではないかと思う。

「……問題は俺がそれがどこか知らないってことだな」
朝比奈の両親に聞けば一発だが、気を遣わせるだろうからできればそれはしたくない。となると、手段は一つしかない。


「秋彦、すまん。邪魔したな」
「ええ、本当に邪魔でした」
隣の部屋の秋彦に声をかけて帰り支度をすると、チビタンを押し倒しながら秋彦が返事をした。
「お前もうちょっとかわいい顔した方がいいぞ」
「ご心配なく、美咲がかわいいから十分です」
「何言ってんだ、バカウサギ!」
妬けるな、と苦笑しながら秋彦の家をあとにすると、たまらなく朝比奈に会いたくなった。


親父に頭を下げること。
それができる限り誰にも迷惑をかけずに我儘を通すための、俺の考え得る唯一の手段だった。
家に戻り、親父の部屋の扉をノックした。
(別に普通に父親に話するだけじゃねーか)
ドアノブを回す手が震えているのに気付き、自分を叱咤した。会社の奴らからしたら親父は畏れ多い社長様かもしれないが、俺にとっては単なる父親だ。家でも普通にしゃべるし、仕事で特別扱いもない。
俺が丸川を乗っ取ると決めた時から少し態度が変わった気もするが、秋彦の家と違って基本的にノーマルな親子関係だと思っている。
だからこの手の震えは親父のせいではなく、朝比奈の過去を知ることになるかもしれないことへの武者震いだ。俺には関係ないだとか、放っておいてあげるようにだとか言われたらどうしようという不安が拭えない。
(いや、関係ないわけあるか)
俺は朝比奈の全部を自分のものにしたいと決めたのだ。


「……親父、少し聞きたいことがあるんだけど」
パソコンへ向かっている親父の肩越しに声をかける。
「ああ、龍一郎。どうした?薫くんのことか?」
「あ、ああ……、そーだけど……」
こちらが言い出す前に朝比奈の名前を出されて動揺してしまった。しかしよく考えてみれば、俺が改まって親父の部屋を訪ねる理由は他に思い当たらないだろう。


来客用のソファーに腰掛けると、親父もパソコンから目を離し、隣に座った。
「薫くんはお前に迷惑をかけたくないと言ってたよ」
「知ってる」
でも俺は迷惑をかけられたいし、朝比奈の力になりたい。
こういう時、親父には頼るくせに俺には何も言わない。忘れていた自分の父親への不毛な嫉妬が数年ぶりに小さく湧きあがった。
「心配しなくても薫くんはお前のところに戻ってくるよ」
「それは心配してない」
「……そうか」
しばしの沈黙のあと、俺は本題を切り出した。
「朝比奈が昔住んでた場所を教えてほしい」
「どうして?」
たぶん朝比奈はそこにいるからと頭を下げると、親父は笑った。
「お前は勘がいいからすぐ気付かれるだろうと薫くんも言っていたけど、その通りだな」
気負っていた分その反応に拍子抜けしたが、そんな俺をよそに親父は立ち上がって、パソコンから地図をプリントアウトしてくれた。RPGかよ、とぼやくと、それを聞いた親父がまた笑った。
地図は電車で一時間くらい離れた街のものだ。ここに俺の知らない朝比奈たちが暮らしていたのかと思うと不思議な感じがした。
幸い明日は休日だ。なんとしてでも朝比奈を探し出してみせる。
「しかしまあ、お前もよく懐いたな」
「はあ?」
「一人っ子で甘やかしてしまうかと思ったから、薫くんがいてちょうどよかった」
「……別にあいつは俺のお守りをするために生まれてきたわけじゃないだろ」
「まあ、そうだな」
朝比奈が自分の世話を焼かざるをえなくしているのは俺自身のくせに、そんな風に言い返してしまう。
親父が一家心中をしようとした朝比奈の家族を助け、仕事を与え、朝比奈少年は俺の遊び相手にあてがわれた。
(俺があいつだったら自分の運命を呪ってるな)
自分で言うのも虚しいが、こんな我儘お坊っちゃまのお世話係など勘弁してほしい。



「俺と薫って何なんだろうな」
親父につられて久々に朝比奈のことを名前で呼んでしまった。
聞いたところで答えの出るものではないかもしれないが、ここ数日で考えていたことがため息のようにこぼれた。
「乳兄弟ってやつじゃないか?」
こともなく親父は答える。
「古典にはお前たちみたいなのがたくさんいるぞ」
「はあ?来週発売の古典シリーズの話かよ……。ていうか今はもう封建社会じゃねーっつの」
俺が呆れると、親父は愉快そうに言った。
「薫くんにも似たようなことを言ったことがあるよ」
「あいつはなんて言ってた?」
「『いっそ封建時代ならよかったのに』と言ってたよ」
それを聞いて、俺も同じことを考えたことがある、とはさすがに親父には言えなかった。
(わかりやすく主従の鎖で縛ってしまえれば楽なのに、ってな)
朝比奈はどういうつもりでそう答えたのだろう。そうすればさっさとあきらめもつくのに、などと考えていたのかもしれない。
「ま、いいや。ありがとう」
真意は朝比奈に会えた時に聞けばいいだろう。
親父におやすみと言うと、薫くんによろしくと返された。




朝比奈はこの家で俺といっしょに育った。だけど何から何まで同じというわけではない。
俺は私立の学校に通い、朝比奈は公立の学校へ行っていた。朝比奈が中学に上がる時、俺の通う予定の学校に行けばいいのに、と言った覚えがある。
「私は龍一郎様と同じ学校に行けるような人間ではありませんから」
朝比奈はそんなことを言っていた気がする。
俺も子供だったので、朝比奈の学校くらい親父が金を出せばいいのにと思っていたが、たぶん朝比奈が固辞したのだろう。大学も奨学金を借りて進学していた。
朝比奈といっしょにいたければ俺が公立の学校に行けばよかったのかもしれないが、昔の俺に朝比奈といっしょがいいと言える素直さは備わっていなかった。……今でも備わっているとは言い難いが。
朝比奈は一度も俺のことをずるいと言ったことはない。
もし朝比奈が俺のことをずるいと言うような男だったら、これほどあいつのことを好きにはならなかっただろう。
無欲で聞き分けがよくて。でも、それが俺を焦らす。
いっそ封建時代の主従なら、当然の奉公だとお互いに割り切れたのかもしれない。
だけど俺たちの繋がりは中途半端で、俺の独占欲と朝比奈の忠誠心がなければ、この関係は簡単に崩れてしまう。
(やっぱり、俺たちは歪んでるのかもな)
それでも俺は朝比奈を欲しいと思う気持ちに忠実に生きていくのだろう。そうしなければ生きていけないことを、俺はもう知ってしまったから。


「おやすみ、朝比奈。また明日」
毎日交わしていた言葉を一人つぶやき、窓の外の月明かりを眺めた。

翌朝電車に乗るために駅まで歩いていると、横付けするように一台の車が停まり、運転席の窓が開いた。
「龍一郎?」
「おー、春彦」
「駅までなら乗っていくか」
車を運転していたのは春彦で、休日の朝っぱらから俺が一人で歩いているのを不思議に思って声をかけてきたのだろう。駅まではそれほど歩いて時間がかかるわけではないが、春彦の申し出に甘えて後部座席に乗り込んだ。
俺がドアを閉めるのを確認すると、春彦は車を発進させた。



「今日は仕事か?さすがに社長は忙しいこった」
最近春彦は宇佐見グループの建築系関連会社の社長に就任したばかりだ。
「いや、今度隣のS市に新しいビルを建てるんだが、個人的に現場を見ておこうと思ってな」
「おい、今S市って言ったか?」
「それがどうかしたのか」
「……いや、実は俺の目的地も……」
偶然にも俺と春彦は同じところへ向かおうとしていたらしい。
そう言うと、春彦はこのままいっしょに乗っていけばいいと言ってくれた。
「悪いな」
「構わん。ついでだ」
 一見無愛想に見える春彦だが、基本的には親切だ。性格がまったく反対な俺と春彦がどうして仲がいいのか不思議に思われることもあるが、たぶんいっしょにいて楽なのだと思う。お互い踏み込んだことは詮索しないし、困っていればさりげなく手を貸す。
 そういう風に何年も続いてきたわけで、せいぜい春彦にお前の性格は厄介だと言われるくらいだ。
 




「春彦、社長ってどんな感じ?」
「どうした、いきなり」
「何となく」
唐突な俺の問い掛けに、春彦は運転しながら軽く考え込んだ。秋彦と同じく春彦は俺と幼なじみで、たぶんいつかは親の会社を継ぐのだろうと思っていた。具体的にそういう話をしたことはないけれど、何となく事情は耳に入ってくるものだ。
それに俺の目から見ても秋彦が父親の後継ぎになりたくないと思っているのは明らかだった。
そのうち俺も会社を乗っ取るべく出版の仕事に本腰を入れるようになったが、うちが代替りする前に春彦はグループ関連会社の社長になった。
「……社長、か。今までとそんなに大きく変わった感触はないな」
「そういうもんかね」
「仕事での自由は増えて、私生活での自由は減ったかもしれん」
「なるほどねえ」
口数の少ない幼なじみがぽつぽつと語るのを聞きながら、俺は流れる車窓の風景に目をやった。
「周りの反応は?」
「……別に。周囲の目が気になったのはむしろ入社した頃の方じゃないのか」
ああ、覚えがある、と俺は同意した。
俺も春彦も性格はかなり違うがどちらも負けず劣らずのマイペース人間だと思う。周りに合わせるなど馬鹿なことだと若い頃はお互い考えていた節がある。
それでも本人がいくらマイペースだとしても、社長の息子が自社に入社してきたとなれば色眼鏡で見られることは必然で。それに振り回されるのは馬鹿だという考え方は変わらなかったが、全く気にしないというのも無理な話だった。
俺がそうだったように、おそらく春彦もそうだったのだろう。
「それに俺はいわゆる非嫡出子という立場だからな」
「言われるのか」
「まさか。一番気にしてるのは俺自身だよ」
あっさりと打ち明けた春彦だったが、今までこんな弱気な発言を聞いたことがなかったので、俺は少し動揺した。
「……それに『気にしてる』なんて打ち明けられる相手もいなかった」
「俺は?」
「……今言っただろう」
その返事を聞いて思わずふふっと笑うと、つられたように春彦も小さく笑った。
春彦にべったりした友情を求めることはないけれど、こういう時にちゃんと友人だと思われていることがわかり、少し嬉しくなる。


(打ち明けられる相手、か)
そういう意味では俺はずいぶん恵まれていたのだと思う。
心の中を全部見せるのは難しかったけど、それでも苛立ちやフラストレーションを全て受けとめてくれる朝比奈という存在があったから、俺はここまでやってこられた気がする。
「お前はいい秘書がいてよかったな」
「ああん?」
俺が誰のことを考えているのか見透かすように春彦が言った。
「昔から学校で嫌なことがあると、龍一郎はいつもあの人のところに行っていた」
「……そうだっけ」
とぼけたふりをしたけど、忘れるはずもない。いつだって朝比奈に話を聞いてもらえるだけで、心のもやもやは晴れた。
「社長業は孤独だ。大事だと思う人間は大切にした方がいい」
「ああ、覚えとくよ」
そのあとはたいした会話もなく、目的地の駅まで着くと春彦に礼を言って車から降りた。
春彦は別に急ぐ用事もないからと言ってくれたけど、どこにいるのかはっきりわからない朝比奈を探すのに付き合わせるのも悪いと思ったので断った。
それに、あんな昔話をされたあとに朝比奈探しをしているとバレるのは気恥ずかしい。
(まあ春彦は何も言わないだろーけど)
秋彦には軽いノリで朝比奈の話ができるが、何となく春彦には何も言わずにきた。言わずとも春彦ならある程度察してくれるのではないかという甘えかもしれないし、余計な気を遣わせたくないという遠慮かもしれない。
ただ朝比奈と俺の関係がどうであろうと、春彦は今までと変わらずにいてくれるという確信だけがあった。







「さてと」
春彦の車から降りると、スマートホンを取り出して現在地を確認した。
駅の周辺はとくに物珍しいものがあるわけではないが、朝比奈が昔このあたりで暮らしていたのかと思うと感慨深かった。新しいビルも少なくないので、きっと朝比奈が住んでいた当時とは様変わりしているだろう。
目的地、朝比奈の生家までは歩けない距離ではなかったので徒歩で目指すことにした。午前中の空気はまだ冷たいけれど、日差しは確かに春の光を感じさせてくれる。
朝比奈に会えたら何と言おうか、などと考えながらコンクリートの道を歩く。数日顔を見ていないだけなのに、ずいぶん離れていたような気がした。
(一生会えないわけじゃないのにな)
朝比奈といっしょにいる間は、どうやってあいつの気を引こうか考えてばかりだったように思う。だけど、離れてみるとその存在の重みを感じずにはいられない。
構ってほしい、甘えたい、そんな気持ちを朝比奈はいとも簡単に引き出してくる。
俺はたぶん朝比奈がいなくても一人で生きていくことはできるし、それが本来の俺だと思う。ただ、朝比奈が引き出してくれる甘ったれた感情が心地よすぎてそれを手放すことができない。
俺が朝比奈を手元に留めておきたいのはまったく利己的な理由からで、言われてみれば朝比奈をどうしてやりたいかなんてあまり考えたことがなかった。
(恋愛なんつーのは利己的なもんだと相場は決まってるが、それにしても、だな)
結局俺と朝比奈の関係は一体何なのか、俺は朝比奈をどうしてやりたいのか、ぐるぐる考えてもこれだという明確な答えは思いつかなかった。



道を歩いていると、学校らしき建物を見つけた。正門を見ると小学校のようだ。
「朝比奈の通ってた小学校だったりしてな」
なーんて、と自分の安易な発想を笑おうとした瞬間俺は硬直した。
少し離れた場所で、俺と同じように小学校の校舎を見つめていたのは、紛れもなく朝比奈だった。
「朝比…奈……っ」
絞り出すように朝比奈の名を呼ぶと驚いたような顔でこちらへ振り向き、そのあと久々に見る笑顔を向けてくれた。
言いたいことはたくさんあるはずなのに、次の言葉が出てこない。
叱り付けたいこともたくさんあったはずなのに、顔を見ただけで胸の中は安堵の気持ちしかなくなってしまう。


「……ご心配をおかけして申し訳ありません、龍一郎様」
「別に心配とか…してねー、し」
どこまでも意地っ張りな俺の言葉を朝比奈はちゃんと理解してくれているようで、ありがとうございます、と返された。
お互い何から話したものか考えあぐねていると、朝比奈は俺に手招きをした。
「入っていいのか?」
「まあ、たぶん」
朝比奈にしてはいい加減な返答だったけれど、俺は朝比奈に続いて小学校のグランドへと足を踏み入れた。
休日なので生徒はいないが、地域の少年野球のチームだろうか、ユニフォームを着た子供たちがグランドで練習に励んでいた。
彼らをよけるようにして、俺たちは校舎の裏手へ回った。




朝比奈に手を引かれるようにして校舎の裏手にまわったが、意外にも日当たりのいい場所だった。俺は朝比奈の背中を見つめ、朝比奈は懐かしそうに建物を眺めている。
「お前、ここに通ってたの?」
「ええ。さすがに二十年以上経てば建て直されているかと思ったんですが、そのままで驚きました」
「へえ」
朝比奈から自分のことを話すのは珍しいので、俺は相鎚を打ちながら聞いていた。俺の知らない時代の頃を懐古しているのだろう朝比奈を見ているのは複雑だったが、今はただ俺に語り掛ける声を聞いていたかった。
「何も知らない子供でしたよ。あなたとこんな風に二人で立っている未来なんて想像したこともなかった」
「それはまあ、しょーがねえことというか……」
「そうですね。それに、何が幸せで何が不幸かなんて誰にもわからないことですから」
朝比奈の言葉を聞いて、少し俺は迷ったけれど口を開いた。
「それはお前が今幸せってことか?」
「……おかげさまで」
思いの外声が震えてしまった気がしたが、朝比奈は気付いていないようだった。


朝比奈の即答は俺を安心させず、むしろもう一つの不安を増長させた。
「朝比奈、俺にだまされてるんじゃねえの」
「どういう意味です?」
「俺みたいなわがまま人間に振り回されるのが幸せなんて普通思わないだろ」
(あーあ、言っちまった)
わかってるなら改めろと総突っ込みを受けそうな逆ギレだったが、朝比奈は涼しく受け流した。
「そういうことも含めての『幸か不幸かなんてわからない』ですよ」
俺の言いたいことなどお見通し、とでも言いたげな顔だ。
口を尖らせている俺の方を見て、朝比奈は少しだけ昔話に付き合ってほしいと言った。了解の返事の代わりにフェンスにもたれかかると、朝比奈は話を始めた。


「龍一郎様、私と初めて会った日のことを覚えていらっしゃいますか?」
「ああ、そりゃもちろん……」
忘れようはずがない。
傷だらけの無口そうな少年が俺の前に連れてこられたのは、幼い俺にとってかなり衝撃的な出来事だった。
「その時の印象をお聞きしてもいいでしょうか」
「なんか気弱そうというか、下僕にしやすそうというか」
こんなに口うるさい男になるとは思わなかったと強がりを言うと、朝比奈は小さく笑った。
ベタ惚れのくせに、とでも思われているのかもしれない。
「では私が昔、龍一郎様も顔負けのやんちゃなガキ大将だったと言ったら?」
「想像つかねーな」
「でしょう?でも本当なんですよ」
頭をひねってみたけれど、いつも慇懃な朝比奈がガキ大将として振る舞っている姿はうまく想像できなかった。
なんとなく俺の家にやってくる前も朝比奈はおとなしくて真面目な性格の子供だと考えていたけれど、確かにそれは俺の思い込みに過ぎない。
「何?子分でも連れて小学校の廊下歩いてたって言うのかよ」
「ああ、やってましたね。いつでも一番強いのは自分だと思っているような可愛くない子供でした」
「……意外どころじゃないんだが」
「私も忘れていました」
自分に自信もあって、そんな世界がずっと続いていくと思っていた。朝比奈はそんな風に話した。
「龍一郎様が昔の私を想像できないのと同じように、昔の私だけを知っている人は今の姿が信じられないのかもしれないですね」
「そうかもな」
返事をしながらも、どうして今こんな話をするのか考えていると、朝比奈は俺の方を向いて真っすぐ視線を合わせてきた。


「私は今、龍一郎様の側にいられて幸せです」
「な、何だよ急に……」
「でも、それを理解してもらえないこともあります」
先日のように、と朝比奈が言ったところで、おぼろげながら何を言いたいのかがわかってきたような気がした。
そもそも何故俺たちはここにいるのか。朝比奈はそれを話そうとしているのだ。



「最初に言っておきます。すでに全て片はつきました」
そう言って朝比奈は頭を下げた。
詳しい因果関係はわからないが、朝比奈はこの前のパーティでの出来事に始末をつけるためにここに来たのだと思われる。
(朝比奈の昔馴染みってことか?)
唐突に朝比奈が子供の頃の話を始めたこと、それから仕事を休んで以前住んでいた場所に来ていること。
それらを合わせて考えると、この推測が妥当なように思えた。
「まず、あの日何があったか話さなくてはいけませんね」
「……結局俺も詳しいことは聞いてないんだ。招待客に暴行とか、噂で、……信じてねーけど」
俺が俯くと、朝比奈は申し訳なさそうな顔をした。
「ご心配をおかけしてすみません。そのようなことはしていないので安心してください」
信じてないとは言ったものの、朝比奈の口からちゃんと聞くことができて俺は初めてほっとした。暴力などを振るう人間ではないという自分の認識が正しかったことが嬉しい。
「ただ、口論になったことは本当です。お察しの通り昔の知り合いなのですが、これは言い訳しようもありません」
トラブルとなった招待客は、朝比奈の昔の小学校時代の同級生だったそうだ。すごい偶然もあったものだと思うのだが、きっと向こうもそう思ったに違いない。
朝比奈はあの一家心中未遂があったあと、うちに身を寄せるのに合わせて転校をしている。
当然普通の転校とは事情が違う。
仲の良かった同級生と別れを惜しむことなどできず、彼らにしてみれば突然朝比奈の姿が消えたと思うだろう。理由が理由だけに、親や教師からは事情が伏せられたであろうことは想像に難くない。
それだけに、朝比奈との再会は驚きだったのではないかと思う。
「あの話は本当だったのか。……そう言われました」
かつて小学校の廊下を我が物顔で闊歩していた友人が、拾われた先の家の子供にかしずいている。
おそらく彼はこう思ったに違いない。
かわいそうに、と。
朝比奈が転校してしまった当時は大人たちが詳しい事情を伏せていたために同級生たちはよくわからないまま過ごしていたが、成長するに従って朝比奈一家の噂は耳に入るようになったそうだ。
事業に失敗した朝比奈一家は心中未遂をして、どこかの社長に拾われた。幼い子供だった朝比奈は、社長の息子のお世話係にあてがわれている、という話で、間違いではないのだろうが聞き手によってはかなり印象の変わる内容だ。
「心配してくれていたのでしょうね、私のことを」
「お金持ちのお坊っちゃんのお世話係なんてあんまり好んでなりたいもんじゃないだろうな」
なんとも童話の主人公にありそうな話ではある。
俺の言い草を聞いて朝比奈は吹き出した。
「もう少しうまく伝えられればよかったのですが、少し感情的になってしまい……、お恥ずかしい話です」



『井坂家の奴隷になることはない』
パーティで朝比奈に再会した友人は、そう説いたのだそうだ。
夢もあるだろう。家庭も持ちたいだろう。
恩義を感じるのはわかるが、自分の人生を犠牲にすることはない。
それを聞いて、思わず朝比奈は反発したのだと言う。
「落ち着いて考えれば、きっと彼も驚いていたのでしょう。お互いに冷静さが足りませんでした」
「……いいお友達じゃねーの」
「そうですね」
これも普段の朝比奈からは想像できないが、どういう場にいるのかも忘れて反論をしたそうだ。朝比奈の怒気を含んだ声は、和やかなパーティ会場では目立ったことだろう。
しかも相手は元同級生とはいえ招待客の一人だ。



「私と龍一郎様の何がわかる。気付いたら……、そう、叫んでいました」
自嘲的に朝比奈は言った。
その顔を見て、俺はその場にいなくて心からよかったと思った。もしその場にいたら、人目も憚らず朝比奈を抱き締めてやりたい衝動に駆られただろう。
いっそ封建時代だったらよかったのにと親父にこぼした朝比奈もまた同じように考えていたのだと思う。俺たちの関係がもっとわかりやすいものであればいいのに、と。
「……出過ぎた言葉ですね」
「そんなことない。俺がお前だったら、たぶん同じこと言ってる」
当の俺たちですら、自分たちの関係に悩んだ日々があったのだ。何も知らない他人にとやかく言われたくないのは俺も同じだ。

結局朝比奈とそいつは引き離され、パーティで騒ぎを起こした朝比奈の身は親父預かりになったというわけらしい。ただし、先方から責められるようなこともなかったそうだ。
だけど朝比奈はこのまま終わりにすることができなかった。
「きちんと話をしないと、お互いしこりが残ると思いましたので」
そうして謹慎という名目で会社を休んでいる間、かつての地元に戻り例の同級生と話をしに来た、というわけらしい。




朝比奈が先日の無礼を詫びに行くと、彼もまた頭を下げたそうだ。向こうもいきなり失礼なことを言ってしまったと思っていたようだ。
聞けば、その同級生には小学生の息子がいて、ちょうど転校した頃の朝比奈と同じ年だと言う。二十年以上ぶりに再会した朝比奈を見て、自分の息子と朝比奈の姿がだぶって見えたのだという。
「もし自分の子供がそんな目に遇ったら、と考えたと言っていました」
「確かに俺たちも小学生くらいの子供がいておかしくない年だからな」
自分のせいで子供の人生が一気に変わってしまうなど、子を持つ親なら誰だってそんな目に遇わせたくないと思うに違いない。
「私には私の、彼には彼の事情があった。……そういうことでしょうね」
お互いの背景を知らなければ誤解が生まれることもあるだろう。
朝比奈の友人もまた、決して朝比奈の人生を否定したかったわけではないのだ。
「さっきグラウンドで野球の練習をしている子たちがいたでしょう?あの中に息子さんがいるみたいですよ」
「ああ、そういえば……」
「あんな幼い子に私のような経験をさせたくないと思うのは当然ですね」
「……朝比奈……」

でも、と朝比奈は言った。
「痛い目にも遇った。不安なこともあった。だけど、私は自分で選んでこの道に立っています」
朝比奈の目はどこまでも真っすぐだった。
「自分で選んだ道を歩けることが幸せではないなんて、誰が言えるでしょうか」


「朝比奈、俺は……」
思わず俺は、朝比奈の頬に手のひらで触れた。
朝比奈はおとなしく俺の方を見ている。
「いつか誰かが本当のお前を取り戻しにくるんじゃないかと思ってた」
「誰が?本当の私とは?」
くすっと朝比奈が笑った。でも俺を茶化しているわけではないようだ。
「お前は俺のせいで歪んだか?」
「いいえ」
「俺に出会う前の自分に戻りたいと思ったことはないか?」
「いいえ」
「俺のところに来たことを後悔してないか?」
「いいえ」

俺の問い掛けに、朝比奈は全て否定を返した。
そして逆に俺へ尋ねてきた。
「龍一郎様、あなたはご自分が悪い魔女か何かとお思いですか」
「……ゲルダから優しいカイを奪った雪の女王みたいなもんだろ」
口にするのも恥ずかしかったが、朝比奈には見抜かれているものと観念して昨日まで考えていたことを言った。それを聞いた朝比奈は、静かに首を振った。
「それは違います」
さっきよりも、さらに強い否定だった。
「あの事故があってから、あなたに会うまで。私の目に鏡の破片が入っていたとすれば、その時ですよ」

親のせいで大怪我をした。自分は大切じゃないんだと思った。
この先どうなるのかもわからない。
仲の良かった友達もいない。
自分は弱い。無力だ。

「そんな風に歪んだ世界から私を救ってくれたのは、間違いなく龍一郎様でした」


(本当に、朝比奈はいつだって俺の一番ほしい言葉をくれる)
俺は目に涙がにじまないようにするのが精一杯で、うまく返事ができなかった。
(俺は朝比奈の側にいていい)
ただ一つ、その確信だけが欲しかった。自信家の俺は、いつも朝比奈に関してだけ自信がない。
それでもなんとかやってこられたのは、こういう揺るぎのない朝比奈の言葉があったおかげだ。



「あ……」
涙をこらえていたはずなのにぽつんと肌に冷たい雫が落ちた気がして、俺は慌てて顔を拭った。
しかし目から涙はあふれていない。
怪訝に思って顔を上げると、朝比奈も同じように空を見上げていた。
「雪?」
もう三月だというのに、空からふわふわと雪が舞い降りていた。冷たいと感じたのは涙ではなく雪だったようだ。
「こんな時期に降るとは……」
「雪の女王が帰っていったのでは?」
「…………うるさい」
さっきの俺の台詞を蒸し返されたので、わざとらしく俺は顔を背けた。
雪雲を意識したせいか少し寒いような気がしたのでポケットに手をつっこむと、ふわりと暖かいものに包まれた。
「そんな薄着では寒いでしょう。これをどうぞ」
朝比奈が巻いていたマフラーを俺の首にかけてくれた。毛糸を通じて朝比奈の体温が流れ込んでくるようで、俺の体は一気に熱くなった。
「おや、熱でも?」
「………平気だ」
朝比奈の手のひらが額に当てられた。
(やっぱり、落ち着く)
触れられるだけで、不安も何もかも飛んでいってしまう。
朝比奈を俺の側から離したくない理由なんて、たったこれだけのことでいいと思った。
好きだから側にいたい。
いっしょにいると安心するから離れたくない。
外野にどう思われようと、俺たちの関係に必要なのはきっとそれくらいのものだ。


「風邪をひかないうちに帰りましょうか」
「……そうだな」
朝比奈に促されて、俺たちはこの場所をあとにすることにした。
確かにここには幼かった頃の朝比奈がいて、俺はほんの少しだけそれに触れることができた。昔のあいつを知ることで距離が遠のくことを恐れていたけど、朝比奈はちゃんと自分の足で俺の隣に立っていることがわかった。
朝比奈に対して俺がしてやれることは何だろうとずっと考えていた。正解かどうかはわからないが、たぶん『迷わないこと』じゃないかと思う。
俺のスタンスがぶれていては、朝比奈を惑わせることになる。だから俺は誰よりもしっかりと立っていなければいけない。
朝比奈のために。


「来てよかった」
「龍一郎様?」
「……何でもないよ」
並んで歩く朝比奈の方に体を寄せると、暖かい吐息が耳元をくすぐった。








***



「……というわけで、社長就任が決まりましたー!」
専務室に朝比奈の乾いた拍手が響いた。
「おい、もっと喜べよ」
「喜んでいますよ」
「ハイタッチとか」
「しません」
いつもと変わらない表情で朝比奈が言った。
「大体、早く偉くなれって言ったのは朝比奈の方だろうが」
「早過ぎて驚いているんですよ」
どう見ても眉一つ動いていないが、まあ驚いていることにしておいてやろう。


午前中の役員会議で、俺の社長就任が決定した。
親父の引退は少し早いんじゃないかとは言われたものの、俺の就任については特にこれといった異議は出てこなかった。ただ、全員顔色を変えていたけれど。
親父の引退が早いのではないかというのは俺も思ったが、今後は会社の経営だけじゃなく文化的な社会活動をしていきたいそうで、それには社長より会長の方が色々やりやすいらしい。
「さすが旦那様ですね」
「お前はほんと親父の話ばっかりな」
「龍一郎様が経営を任せ得るお方になられて、旦那様もお喜びでしょう」
「さあねえ」
そのうちに丸川を乗っ取るから、それまで貸し出し中の札をぶらさげておけと言ったのは、もう十年も前の話になる。当時も別に無茶なことを言ったつもりはなかったけど、実際にここまでくるとやはり感慨深い。
端から見れば単なる世襲かもしれないが、朝比奈が自分で選んで俺の側にいるのと同じように、俺も自分で選んでここへ来た。二代目云々を言われるのは百も承知だし、それもひっくるめてこの先やりたいことは盛り沢山だ。
「正式に就任したら、お前も専務秘書からついに社長秘書だな」
「社長秘書は久々ですね」
「あの時は仮だからな、仮。今度は正式な社長秘書!」
とにかく今まで以上に忙しくなるから覚悟しておけと言うと、朝比奈は嬉しそうに了解の意を伝えた。


「ところで龍一郎様、今晩のご予定は」
「んー……、何もないと思うけど」
「でしたら、私にお祝いをさせていただきたいのですが」
「二人で?」
「はい」
 その申し出を待っていた、というようにニヤっと笑って見せると、朝比奈は俺の手を取った。
「二人だけの時間を、どうぞ私に」
 オフィスラブは禁止、と言いたいところだが、今日だけは特別にしよう。重ねた手を引き寄せるようにすると、俺の身体は朝比奈に抱きとめられた。


「お祝いは何にしましょうか」
何でも好きなものを、と言う朝比奈に、俺はこう答えた。
「……ばらの花がいい。この前お前がくれたような奴」
俺の家にも朝比奈の家にも、ばらの花をたくさん買って、たくさん飾って。今日の夜は二人で眠り、ばらの花の香りで目を覚ましたい。
「仰せの通りに」
朝比奈はそう返事をすると、今度は唇を重ねてきた。



 ばらのはな さきてはちりぬ

ふと、幼い頃に読み聞かされた童話に出てくる讃美歌の一節を思い出した。
あの頃も隣には朝比奈がいて、たぶん大人になっても同じように朝比奈がいてくれるのだろうと思っていた。
(ちゃんと、俺は朝比奈の手を離さなかった)
幼い頃の自分に対して、妙に誇らしい気分になる。
大事なものを守ってこられた、という誇りだ。



「私の宝物は、あなたの隣でつむぐ一生です」

そう、朝比奈は言う。
俺も同じ、と答えると、やわらかく笑う朝比奈の顔に春の光が煌めいた。








END



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